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  • 執筆者の写真Byakuya Biz Books

ゲームギアミクロの発売に見る セガとファンの幸福な関係

更新日:2022年5月5日



ジュークボックスからスタートしたセガは、いくつかの栄光と挫折を経て、今年で創業60周年を迎えた。そんなセガを語る際に欠かせないのが、ときには偏愛として、ときには揶揄として表現されるファンの熱狂的な態度である。新型コロナウイルスの影響で、創業60周年を祝うプロジェクトの多くは計画変更を余儀なくされたものの、創立記念日に突然発表されたゲームギアミクロ発売のニュースは、そんな多くのファンに好意的に迎えられた。その開発者である奥成洋輔さんと創業記念プロジェクトに深く関わる宮崎浩幸さんに、ゲームギアミクロの開発にまつわるエピソードとともに、ファンへの思いを聞いた。

撮影:西邑泰和(GLEAM☆)



自称ゲーム考古学者が作ったゲームギアミクロ


――ゲームギアミクロを開発した物販チームはどういう部署なんですか?

奥成 物販チームはイベントで発売している、Tシャツやアクセサリーなどのグッズを作ったり売ったりする部署ですね。ゲームギアミクロもそういったグッズの一つとして企画が立ち上がりました。

ぼくは昨年までの3年間、アジア(中国、台湾、韓国)に向けた展開、セガのゲームや国内他社のゲームのローカライズや販売を担当していたんですけど、この春から異動してゲームギアミクロを担当するようになったんです。

――どういう経緯でいまの仕事に?

宮崎 いろいろな記事を読んでいる人にとって、奥成は「昨年、メガドライブミニの開発者としてさんざんメディアに出ていた人」という印象だと思うんですよ。

メガドライブミニは、社内の部署に関係なく、知見や情熱のある人間が集まって、1年間に渡って進めたプロジェクトなんです。そこに巻き込まれたのが奥成で、アジアの仕事が担当と言いながら、1年の半分はメガドライブミニの仕事をしていて。

そして、奥成が獅子奮迅の活躍をしてくれたので、ゲームギアミクロの開発が決まったときに、物販チームのミッションを再編して、専門として関わってもらうことになったわけです。

――奥成さんの最大の功績は何ですか?

宮崎 奥成はセガのゲーム考古学者なんですよ。

奥成 自称ですけど(笑)。会社に長くいると、いろいろくわしくなるんです。ぼくは2004年から10年ぐらい、昔のゲームを移植する仕事を担当して、100本以上のタイトルをさまざまなハードに移植しました。その結果、このゲームはどこが開発して、どういう問題があって……という情報がぼくに蓄積されたんです。

その後は『PSO2』とか別の仕事をしていたんですけど、社内では「古いゲームを移植するときはとりあえず奥成に聞け」といった感じで、同じようなことをする人にアドバイスしていたわけですよ。最終的には物販チームでいまの仕事をするようになったと。


奥成洋輔さん。ジャパン事業部営業部物販チーム・プロデューサー。セガの社員でありながら、熱狂的なセガファンとしても知られる。メガドライブミニ成功の立役者


宮崎 奥成はセガに入る前から、セガにくわしかったから。彼がセガに入ったときは、まだ現役でゲームをつくった本人が在籍していたんですよ。なかなか想像しにくいかもしれないけど、ゲームメーカーはどんどん人が入れ替わるので、字面で書かれた歴史は残っても、そのときの雰囲気や周辺事情はどんどんわからなくなってしまう。

そうしたことを防ぐために、セガのホームページにはセガハード大百科(※)という歴史をまとめたページがあるんですけど、それも彼が担当しました。


※セガハード大百科 https://sega.jp/history/hard/

奥成 日本のウィキペディアは個人の記憶や感想がソースになっているものが多く、間違いや誤解が多く混ざってしまうんです。そういった情報を元にしてメディアが記事にすることもあったので、会社の中にちゃんと一次ソース(当事者の証言や原本など、直接の情報のこと)があるべきだと、もともとあったセガハード大百科を2年前にリニューアルしたんです。セガハード大百科を読めば、そのハードについては最低限わかるようになっていますね。


宮崎浩幸さん。ジャパン事業部副事業部長。国内のコンシューマ(家庭用)テレビゲームの営業宣伝と、eスポーツのグランドデザインなどを担当。メガドライブミニの開発にも携わった



メガドライブミニとは違うPRが求められたゲームギアミクロ


――メガドライブミニは収録タイトルの情報を小出しにすることで盛り上げることに成功しました。ゲームギアミクロでも同じPRを考えていますか?

奥成 そこは違いますね。メガドライブミニは単体でどう売っていくかを考えたプロモーション戦略でしたけど、ゲームギアミクロはセガの60周年をお祝いするグッズの一つとして企画されたんです。

ゲームギアがちょうど30周年を迎えるから、ゲームギアのマスコットを作ってみよう。そのマスコットが実際に動いてゲームが遊べたらうれしいよね。そんな発想で生まれたので、メガドライブミニとは成り立ちがまったく違うんです。だから、メガドライブミニの方針でゲームギアミクロを復刻していたら、まったく違う商品になっていたと思います。

宮崎 メガドライブミニのPRは、窮余の一策(追い詰められた末に考えついた方法)だったんです。2018年の4月14日にセガフェスではじめて発表して話題になったんだけど、発売したのは2019年9月19日です。1年半後に「ついに完成しました!」と発表してもニュースにならない。だから、収録タイトルをうまく発表することでニュース化していこうとしたんです。もう必死でしたよ(笑)。

奥成 本当は4月からセガの60周年をファンのみなさんとお祝いしようと、宮崎が企画を山ほど考えていたんですけど、ほとんどが実施できない状況になってしまった。ゲームギアミクロは奇跡的に残った企画の一つなんですよ。ゲームギアミクロもセガフェスで発表しようと進めていたけど、残念ながら開催できなくなってしまった。一時は開発も中止しようという声が挙がったくらいで。

ただ、ゲームギアミクロそのものは人を集めるものではないので、お祝いの一貫として、せめてこれぐらいはやろうと進めることができました。ただ、イベントのステージで発表することと、ネットでの展開を比べたら、インパクトが全然違うので埋もれてしまうかなという危機感はありました。


※画像は開発中のため変更の可能性があります


――世間で話題になるかどうかはコントロールできませんからね。

奥成 そういうのはしかたないですよね。自分たちが自信を持ってニュースリリースを出しても、その日にあったゴシップニュースで埋もれてしまうこともありますから。そういう意味では、メガドライブミニの発売延期を発表したタイミングはすごかったですよね。

宮崎 メガドライブミニは、最初に発表した発売日(2018年の年末)にどうしても間に合わないことがわかって、いつ発表するか悩んでいたんですよ。そして、東京ゲームショウ初日の午前中にSNSで延期する旨を発表したら、バズッてしまったんですね。でも、その日の午後にプレイステーション クラシックが発表になって。発表の順番が逆だったら印象がすごく悪かったと肝を冷やしましたよ。

奥成 ゲームギアミクロは結果的に多くの人に盛り上げていただけたので、ホッとしたというのが正直なところです。

――ゲームギアミクロとメガドライブミニは同じ層がターゲットなんですか?

奥成 ゲームギアミクロはメガドライブミニとターゲット層が一部違うんですよ。ゲームギアミクロは当時ゲームギアを遊んだ人に買ってもらいたいので10歳くらい下がりますね。後はセガのファンなら必ず持っていてほしいグッズという方向性です。そのため、ゲームギアを触ったことがない人に関心を持ってもらえるかはむずかしいですよね。そもそも通販限定での販売ですし。

一方で、メガドライブミニはセガファンにも喜んでもらえるという自信はありましたけど、セガファンではない人たちにもアピールしたいという気持ちがありました。

メガドライブはセガの歴史でも人気が出たハードですが、決して国内で成功したと言えるハードではありません。当時をなつかしがってくれる人だけをターゲットにしたら、目標の数字は出せないことがわかっていました。ですから、メガドライブで遊んだことはないけど、名前は知っているという人に興味を持ってもらうことが肝になっていました。

――メガドライブミニの発売時、宮崎さんは「思い出がビジネスになる」という旨を話されていました。

宮崎 昨年、最新のAI技術を用いた美空ひばりさんのライブが再現されましたよね。もちろん賛否はありますが、美空ひばりさんと同じ時代を生きてきた人たちは注目した。自分と生きてきた時代と重なるゲームにも思い出がいっぱいつまっているんですよ。

人は思い出に価値を感じるし、少し余裕があればその思い出にお金も払う。ビジネスモデルというといやらしく聞こえるかもしれませんが、ゲームを使い捨てにしてはもったいないから、メガドライブミニもゲームギアミクロもアストロシティミニ(7月にグループ会社のセガトイズが発表した新しい復刻ハード)も、そういう形で残していきたいと思っています。

――ファンの心を最もくすぐるのは収録タイトルでしょうか。

宮崎 それぞれ微妙に違うんです。ゲームギアミクロは持った瞬間だと思います。一方でメガドライブミニは収録タイトルです。「メガドラの時代」というコンセプトをずっと言い続けてきたのは、あの最初から最後までのラインナップをずらっと並べたときに感じる何か。

アストロシティミニも未発表のタイトルがありますけど、『バーチャファイター』の画面を見たとき、ある特定のゲーマーの脈拍が跳ね上がる、そういうことだと思います。




メガドライブに見る、アメリカと日本のファンの違い


――日本とアメリカではファン層は違うんですか?

宮崎 全然違いますよ。メガドライブ(北米ではGENESISという名前で発売された)は、アメリカでは2000万台売れた勝ちハードですから。

奥成 メガドライブミニは海外でも発売しましたが、デザインや収録タイトルを現地に合わせて変えたのは、その国々で思い出が違ってくるからですね。アメリカでは横綱相撲というか、当時一番メジャーだったゲームを重点的に集めました。

宮崎 だからいま、日本のファンがメガドライブのことを語るとき、複雑な思いを抱えていると思うんですよ。だからこそ、メガドライブミニにテトリスが入ったり(※)、あるいは「令和最初のハードです」とアピールしたり、新聞で一面広告を出したりしたのは、ファンの複雑な思いをさらに複雑にさせようと思ったんです。「いまかよ!」みたいな(笑)。「あのときだったら……」という思いが連帯感になったらいいなと思っていたんです。

※「メガドライブ テトリス」で検索

――日本のファンはそういった哀愁を抱えているわけですね。

宮崎 生放送でメガドライブミニの収録タイトルとして最後に『テトリス』を発表したとき、コメントで画面がまっしろになったぐらいですからね。


――日本のファンがアメリカでの活躍を見て溜飲を下げるようなことはなかったんですか?

宮崎 いまなら知識としてあると思うけど、当時はそんな感覚はなかったはずですよ。アメリカでソニックとマリオが競争していたなんて。しばらくあとになって、ゲームの歴史をひもといたら、一瞬、アメリカでセガが一番だったという歴史があった。でも、昔はネットもなければ、新聞に大きく載ったわけでもないですからね。

奥成 メガドライブやそれ以前のマスターシステムはヨーロッパでも売れたんですけど、『アレックスキッド』が人気だったなんて、誰も信じてくれない。ぼくもリアルタイムでは知らなかったんですけど、任天堂のWiiでバーチャルコンソールという過去のゲームを配信するサービスの仲間に入れていただいて、セガのソフトを100本以上リリースしたんですね。

すると、どの作品に人気があるかリアルタイムでわかるわけですよ。アメリカではやっぱりソニックが人気だとか、日本ではこのゲームだとか、全部わかる。そして、ヨーロッパでは『アレックスキッド』がめちゃくちゃ人気があって。ぼくもあとになってから本や数字で人気があったらしいというのは知っていたんですけど、「あ、本当に人気があるんだ」と20年くらい経ってようやく日本で知ることができた。

――セガはそんな熱い気持ちを持ったファンに対して、どう思っているんですか?

宮崎 カズレーザーさんは「セガは自分たちのファンは無限にお金を持っている、と思っている」とおっしゃっていましたけど、ファンというよりサポーターという感じでしょうか。

奥成 ファンの活動に対する受け皿をつくりたい、そんな気持ちはありますね。メガドライブミニがおそらくそうだったと思うのは、「メガドライブがこの世で一番いいハードだ」と、こんなに思っているのに現実はうまくいってなくて、まわりのみんなはファミコンやPCエンジンしか持っていない。そんな状況で「俺はあえてメガドライブを選ぶぜ」という人たちの気持ちを消化させたのがメガドライブミニだったわけですよね。

メガドライブミニを買ってくださった方は、「俺が30年前に愛したハードはこんなにおもしろいんだ」とみんなに言える、エバンジェリスト(伝道者)になれるハードだったと思います。実際、当時は遊んでいなかった人が遊んだらおもしろいという形にできて、非常に幸せな形になったのかなと。



ファンに向き合うセガの姿勢はセガBBSでつくられた!?


――セガのファンは愛情が重いイメージがありますが、重すぎて手に余ることはありませんか?

宮崎 愛情を感じていただけるのと同じくらい、きびしい目もあると思います。

奥成 メガドライブミニも、「セガのファンが買ってくれるなら、少なくともこれくらいの市場はあるだろう」と思えるので、企画は通りやすかった。その代わり、そのお客さんはとても目が肥えているから、中途半端な商品をつくることはできない。

ただ、もし「セガがいつもファンのほうを向いている」という声があるのだとしたら、それはファンのみなさんがいつも我々を支えてくれているから、我々もそこにアクションすることができるということですね。

宮崎 もちろんファンの期待を上回りたい、ファンを驚かせたいという気持ちもつねにある。「だと思った」とは言われたくないですから。新しいCIを製作したときから「Amazing SEGA」と言い続けていますしね。



奥成 安易な続編を出さないという姿勢も、そうした風土によると言えるかもしれません。セガはシリーズっぽいものを立ち上げて、ほったらかしにするとよく言われたりするので(笑)。このゲームの続編を待っているのに一向に出ないゲームがゴロゴロしている。もちろん特別なものは除きますけどね。

宮崎 ただファンの予想どおりの作品をつくるなんて、パブリッシャーとしてどうなの?とも思いますから。


――ファンの声は昔から意識していたんですか?

奥成 そうですね。セガは企業ホームページを作った会社の中ではかなり早いほうで。ホームページでお客さんの声を聞こうと1990年代後半にBBS(掲示板)を立ち上げたんです。セガBBSという名前で、ネットの歴史にも燦然と輝いているんですけど、セガBBSが進化して2ちゃんねるになったという人もいるぐらいで。

セガというゲーム会社の公式サイトの中に、なぜか「スポーツ」とか「旅行」とか、いろんなジャンルがあって、いろんな話をして。2ちゃんねると同じようによく炎上もしたんですよ。ライバル機であった「プレイステーションに負けるな」という人がいれば、逆にプレイステーションの応援をはじめる人が現れたり。セガのサイトで(笑)。そして「ここは自由に会話できるぞ」ということでアクセスが集中した結果、日本で一番アクセス数のある企業サイトになったんです。

ただ、サーバーコストと管理コストとかいろんなものが合わないんじゃないかという話になって、住人の方の猛反発を受けながら閉鎖されたんですけど、わりとファンの声っていうのは有象無象含めて取り入れようという空気は以前からありましたね。


セガで最も古いサイトはセガサターンの『NiGHTS(ナイツ) into dreams..』。1996年のホームページで、いまでも見ることができる


――世間でよく言われる「10年早い」「先進性」についてはどうでしょう。

宮崎 会社から「10年早いことをやれ」と言われることはないんですよ。いつもその時代にぴったり合うことをねらうんだけど、結果的に10年早かったと言われるケースが多いというだけですね。だから、「いまは受けないだろうけれどやろう」とは思っていなくて。

90年代にはじめたゲーム図書館(月額800円でオリジナルゲームソフトをダウンロードして遊べる)は結果的に早かった一方で、3Dポリゴンはぴったりだったわけです。当時、3Dポリゴンはどの会社も研究していたけど、時代にマッチしてバンと人気が出たのが『バーチャレーシング』であり、『バーチャファイター』であり。

――なるほど。つまり何でもかんでも早すぎたわけではないと。

宮崎 セガという会社をひとくくりで定義するのは非常にむずかしいんですよ。『龍が如く』も『サクラ大戦』も『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』も、タイトルによってアプローチするユーザーが違いますから。

――いわゆる2番手的なポジションというイメージも限られた分野での話なわけですね。

宮崎 アーケードではずっと業界のトップ集団にいるので、そういうイメージを持つファンがいれば、いつも負けていると思っているファンもいる。そういう多様性があると思います。

奥成 時代によっても変わりますしね。テレビゲームだけで言えば、いまは2番手以下かもしれないですけど、アーケードのほかにキッズコンピュータ・ピコは知育玩具の部門で長い間1位だったり。

――コア向けではなく、新規のお客さんを獲得しようとしたゲームと言えば、何でしょうか。

宮崎 『甲虫王者ムシキング』はまったくの平原の上に建物を建てた感じですよね。子どもをターゲットにしたカードゲームですから。

――そうした新規企画が上がったとき、社内の反応は?

奥成 もちろん反発意見は出ますよね。『龍が如く』も『バーチャロン』も、反対意見は多かったけれど、クリエイターの情熱が成立させたゲームが結果的に大成功を収めたというケースは少なくないんです。

それがほかの会社と比べて多いか少ないかはわからないですけど、こういうところが、セガという会社のチャレンジ精神の歴史みたいな。



熱烈なセガフリークがこれからのセガでできること


――奥成さんはセガが絶頂期を迎えたと言われる1994年入社で、2001年にハード事業撤退という節目も経験されました。自身のキャリアを考える上で、何か変化はありましたか?

奥成 ぼくはあまり当時の思い出がないんです。セガサターンが終わるときはちょっとくやしい気持ちはありましたけど、開発現場に長くいるほど、ハード愛よりも自分たちがつくるソフトのほうに意識が向くというか。だから、「俺たちの作ったゲームがなんでこれしか売れないんだ?」という反省とか、逆に売れてうれしかったとか。

宮崎 奥成はソフト開発の現場にいたからね。もしハード開発の人間に聞けば、「3回死んだ」って言うと思うんですよね。ぼくはといえば、社内のあちこちにいたせいか、環境の変化が激しすぎて、少々のことではおどろかなかったですよ。

業界で衝撃のニュースとなった合併や、赤字転落から大川会長が私財を寄贈とか、いろいろあったし。それから、『バーチャファイター2』が出て、『セガラリー・チャンピオンシップ』が出て、『バーチャコップ』が出て。完全に勢いに乗っていたら……。

奥成 思えば、あれが一番衝撃でしたね。1995年の年末商戦で、セガサターンがプレイステーションを販売台数で上回って、イケるという雰囲気だった。それが、年が明けて1月7日に『ファイナルファンタジーVII』のCMがはじまった。正月だけはいい気持ちになれたのを覚えてます(笑)。



――ゲーム考古学者として、奥成さんは今後、セガでどういう役割を果たせると思いますか?

奥成 セガの社員が全員、会社の歴史を知っているわけではないので、過去の資産の商品化、たとえばメガドライブミニ2みたいなものをつくりやすい環境を整備したいですね。エンターテインメントの歴史でどこまで過去をふり返ればいいかっていうのはよく考えないといけませんが、当時流行ったものはいまでもみんなの思い出になるじゃないですか。

宮崎が先ほど言った美空ひばりさんと同じで、そのあとどんなに歌唱力のあるアーティストが現れても、美空ひばりさんに会いたいという気持ちがある。わざわざメガドライブで作った『ダライアス』にみんなが喜ぶっていうのはある意味、美空ひばりさんみたいなものなんですよ。

――宮崎さんはeスポーツの部門を担当するなど、どちらかというとこれからの変化にうまく対応していくことが求められそうですね。

宮崎 この先ずーっと考えていきたいのは、ユーザーの心がどう動くかなんですよね。メガドライブミニは、ユーザーの心を動かした自信はあるんですよ。もちろんスベッたことだって何度もあるわけで、それは心が動かなかったから。

ゲームの遊び方はずいぶんと多様化して、ゲームによって喜びや感動の掻き立て方は全然違うと思うんですよ。ぼくはeスポーツに関わっているけど、『龍が如く』や『サクラ大戦』で遊んだときの感動と同じように考えてしまっては、全然ハマらない。

日本のゲーム産業はまだ50~60年の歴史しかなくて、その間にテクノロジーが急激に進化して、ビジネスモデルもガラリと様変わりした。映画業界は100年以上の歴史があって、最近の進化は3D映画(立体映画)ぐらい、つまり熟成していると言えますよね。

ゲーム業界は試行錯誤の途中だと思う。熟成していないだけに、工夫の余地はまだまだあるはずです。その工夫をするときに、『龍が如く』とeスポーツを同じ次元で工夫してもダメだと思うわけです。

――ゲームギアミクロは10月の発売に向けて、何か仕掛けていくんですか?

奥成 お祭りと言ったら大げさですけど、発売直前には配信番組的なことをしたいし、開発時のもう少しくわしい話を語る機会があればいいなと思っています。本当はGDC(Game Developers Conference。毎年開かれる世界各国のゲーム開発者を中心とした会議)で招待スピーカーとしてメガドライブミニについて話す予定だったんですけど、新型コロナの影響でなくなっちゃいましたから、あれもどこかでリベンジしたいですね。



――SNSで消費者と直接つながることができるようになったいま、メーカーがメディアに期待することは何でしょうか。

宮崎 現在、セガの公式Twitterのフォロワー数は42万人いるので、情報を発信するだけなら公式Twitterが速いし、便利だし、自由になるし良いことだらけかもしれません。でも、視点が違ったり、うまくまとめていただいたり、メディアのフィルターを通した付加価値は大きいと思います。

奥成 Twitterではあまりメッセージ性のあることは伝えられないんです。たしかにユーザーとコミュニケーションはとれるかもしれませんが、深い話をするなら、一方通行のメディアのインタビューで思いを語ったほうが伝わると思います。

――最後に、お話しいただける範囲で、10月にゲームギアミクロを発売したあとに考えていることを教えてください。

奥成 いまお伝えできる具体的なことはないんですけど、ただ、最初にお話ししたように、メガドライブミニの成功を受けて、いまゲームギアミクロをつくっている。それも幸いなことに、会社の想定を大幅に上回る結果を残せそうで。

だから、ぼくの使命は新しいセガのミニハードをつくることだと思っています。以前のインタビューでは、「メガドライブミニは一発限りの大きな花火です」と答えていたんですけど、ファンの皆様には2発目3発目を大いに期待していただければと思います。


 

ゲームギアミクロ

セガ設立60周年特設サイト https://60th.sega.com/

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