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執筆者の写真沖 俊彦

クラフトビールの多様性が本当に意味すること

更新日:2022年5月23日



昨今、さまざまな文脈で目にしたり耳にしたりする「多様性」。クラフトビールも例にもれず、肯定的に言及されることがほとんどである。ところが、クラフトビールで言われる多様性とは実際は何を言うのか? 種類が多い=多様なのか? 最終回はクラフトビールと多様性について、あらためて掘り下げて考える。



クラフトビールの多様性とは何か? 


 よく「クラフトビールの魅力は多様性だ」と言われます。「クラフトビールはIPA(インディアペールエール)、ヴァイツェン、スタウトなど100を超える種類があり、消費者が自分の好みの味わいを探し、選べる多様性がある」と種類の多さを根拠に語る方も少なくありません。しかし、私はこれに対して長年懐疑的なのです。


 スタウトと呼ばれるものであっても各社微妙に異なり、同じものは一つもありません。機材や原料も違いますが、とにもかくにも醸造家の目指すもの、意識、感性が違うのだから結果が異なるのは当然です。多様であるのは種類というよりも個々の作品に託された意識、作り手の感性のほうではないかと私は考えています。とはいえ、広いビールの世界を把握するための地図がないのも困ります。その意味で一度認識の体系としてビールの種類を理解しておくことは有用でしょう。まずは型から始め、次第に型を破っていけば良いのです。妙な言い方になりますが、覚えて忘れてからが本番かもしれません。


 ところで、ここ数年大手ビール会社もクラフトビールと称するものを多数発売するようになりました。それらのコピーを見ていると気がつくことがあります。ホップをフィーチャーしたものが増えているのです。以前ならば「欧州産ホップを使っています」くらいの説明でしたが、今では具体的な品種名やその品種の特徴的な香り、投入のタイミングなどについてくわしく書かれることが多くなりました。ビールとホップの風味を結びつけて語ることがトレンドのようです。


 この事象も興味深いのですが、さらに興味深いこともあります。商品のレビューを見てみると「クラフトビールらしい」とか「クラフトビールっぽい」という飲んだ方からのコメントが結構見つかるのです。「ホップはビールの”魂”」などというキャッチコピーも見られるようになりましたし、メーカー側から出されるホップ推しの言説を受けて消費者の認識としては「クラフトビール=ホップの風味が強いもの」というものになりつつあるのかもしれません。



業界を席巻するIPA


 2010年代に日本に紹介されて現在人気を博しているクラフトビールですが、それを牽引しているのはやはりアメリカンスタイルIPAでしょう。強烈な苦味のものから甘くジューシーな味わいを持つものなどその幅は広く、IPAだけでも亜種はたくさんあります。日本のみならず現在世界中でIPAが人気で、シーンの中心にあることは疑いようもありません。そのためIPAがクラフトビールの代名詞として認識され、その特徴的なホップの風味をクラフトビールの最重要要素と考えるのもあながち間違いでもない気がします。


 私が予想するに、キャズム理論で言えばIPAがイノベーターに人気になってその後現在のコアファンであるアーリーアダプターの間に浸透し始め、その土台の上に大手ビール会社が後追いで乗ってきて露出が増えたおかげで世間にも知られるようになったという順番なのでしょう。今はアーリーマジョリティ醸成期に入った段階だと感じられます。


 それを象徴するかのような出来事が昨年ありました。スコットランドの有名クラフトビールメーカー、Brewdog(ブリュードッグ)がアサヒビールと日本でブリュードッグ・カンパニー・ジャパンという合弁会社を設立し、同社の人気商品であるPunk IPA(パンクIPA)、Hazy Jane(ヘイジージェーン)、Elvis Juice(エルビスジュース)の3種を扱うようになりました。ポイントは取り扱うのがIPAだけという点で、専門店だけでなく一般的な売り場が増えればさらに売れると考えたのでしょう、拡販を求めてクラフト側と大手ビール会社が協力体制を敷いたのだと考えられます。とにもかくにも今IPAは人気なのです。


 IPAをきっかけにクラフトビールという言葉が広く知られること、購入しやすい場に置かれるようになることは良いと思う反面、その語り方についてはアーリーマジョリティ醸成期だからこそもう少し慎重かつていねいであっても良いのではないかと思います。ホップが効いていないとクラフトビールではないと思われてしまうのではないかと個人的には心配になるのです。


 人間の嗜好は一様ではなく感性とともに極めて複雑です。それがバラエティに富んだビールを生み出しています。クラフトビールにおける種類の多さを多様性だとして尊ぶ方も多く、ビールがピルスナー一辺倒ではないと知れ渡ってきた今だからこそていねいに語り合いたいものです。とはいえ、これはきれいごとなのかもしれません。経済活動に絡めて考えるとなかなか難しい問題にぶつかります。


 選択肢がたくさんありすぎると人は選べなくなってしまうものです。どれがおいしいのか、自分に合うのかもわからないので選ぶための指針を欲しくなるのが人情というものでしょう。それに応えることはすなわち販売に繋がるので消費者の求める端的な説明をメディアも含め事業者側は提供しますが、そのとき紙幅の都合などもあって必要以上に単純な形で言い切ってしまいがちのように感じます。「クラフトビールと言えばIPA! クラフトビールと言えばホップ!」というような断定調の雑なコピーが出回り、需要が刺激されると同時に醸造所はIPAを盛んに醸し、酒販店の棚やパブのタップはIPAであふれていきます。個人的にあまり良い傾向だとは思いませんが、売れなければ続けることができませんから致し方ないところもあって悩ましい。



クラフトビールを一過性のブームで終わらせないために……


 IPAの人気上昇の一方で次第に麦の味わいが中心の地味なビールの人気は落ちてきていて、実際かなり寂しい状況になっています。クラフトビールについて検索すると初心者の方向けにビールを紹介する「初心者が飲むべき5種」「ビギナーにおすすめ! 基本のクラフトビール10種」などの記事がたくさん出てきます。これらをきっかけにビールの広くて深い世界に足を踏み入れるというのも一つの方法ですが、そこで紹介されるビール、たとえばポーター(イギリス発祥の黒ビールの一種)などは一般的に今人気がないためになかなか売っておらずそうそう飲めません。ビールは多様なはずなのに実際入手可能なラインナップはごく一部に収束していきそうな雰囲気が漂っているというのは何とも皮肉な話です。うまいバランスに落ち着いてほしいと心から願います。


 このことをビジネスっぽく表現するならば、当初プロダクトアウトのおもしろさが潜在需要を掘り起こしたけれども、時は流れ受け皿ができたのでマーケットインによるボリューム拡大のフェーズに入り始めたということでしょう。商品ラインナップの選択と集中もまた合理的な判断ではありますが、こればかりを推し進めるとトレンドを追いかけるだけになって真の定着から遠のいてしまう可能性もあります。多様性をロングテールの担保と言い換えるならば事業者にはポートフォリオの組み方と語りかけの力が問われていると言えるのかもしれません。


 クラフトビールを一時的なブーム、消費の記号にしないためにも工夫が必要です。まずは当たり前のことを今一度ちゃんと確認することから始めるべきなのでしょう。たとえば「すべてのIPAが必ず良いのではなくて、実際のIPAには高品質なものも低品質なものもあること」とか「ホップが効いていることは単に苦いことではない」などです。冒頭で申し上げた型を破っていく作業、覚えて忘れてからの本番がここから始まります。


 こういうニュアンスの話は実際に複数人で飲みながらでないとなかなか理解しにくいものです。残念ながら本や雑誌、ネットの記事は飲み手である私たちの事情をくわしく理解した上で書かれているわけではないのであまり役に立ちません。同じ言葉で表現していても各人違う感覚を感じている可能性があり、そのギャップを明らかにしつつ相互に語り合う中ですり合わせていくのが一番です。そのとき、自身が良いと感じたポイントに名前が与えられたり、相手の良いと感じたものがすっと入ってきて感性が磨かれていきます。実はビールを感じること、もっと言えば多様であることを知るには語らいがとても大事なのです。


 しかし、今状況は良くありません。新型コロナウイルスは飛沫によって他者へと感染すると言われ、感染を拡大させないよう社会全体で「非対面」「非接触」をこの2年間推進してきました。お酒が敵視されるようになって飲食店は休業に追いやられ、ビール祭りもことごとく中止となりました。飲むと言えばもっぱら家飲みになるわけで、友人たちと時間・空間を共有しながらああでもないこうでもないと言い合う場が失われてしまいました。生の語らいを代替するものはないものでしょうか。私にはまだそれが見つかっていません。多くの方を巻き込んでポストコロナ時代を見据えたクラフトビールとそのコミュニケーションの在り方について議論したいものです。それはきっと多様性について考えることに繋がるはずです。

 

沖俊彦(おき・としひこ)

CRAFT DRINKS代表

1980年大阪府生まれ。酒販の傍らCRAFT DRINKSにてクラフトビールを中心に最新トレンドや海外事例などを通算750本以上執筆。世界初の特殊構造ワンウェイ容器「キーケグ」を日本に紹介し、販売だけでなく導入支援やマーケティングサポートも行う。2017年、ケグ内二次発酵ドラフトシードルを開発し、2018年には独自にウイスキー樽熟成ビールをプロデュース。また、日本初のキーケグ詰め加炭酸清酒“Draft Sake”(ドラフトサケ)も開発。ビール品評会審査員、セミナー講師も務め、大学院にて特別講義も。近年自費出版の形でクラフトビールに関する書籍を発行中。


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