日本人にとって最も身近な宗教である仏教。浄土真宗本願寺派の僧侶・日下賢裕(くさか・けんゆう)さんは、どんな物事に対しても、つい仏教に結び付けて考えてしまうと言います。あなたがよく目にし耳にしている物事にも仏の教えが隠れている!? ぼんやり思考を巡らせながら、仏教の世界をのぞいてみましょう。
第1回は、巷で話題のこのフレーズから。
「それってあなたの感想ですよね?」
これは某氏が言い放った有名な一言として、ネットでもよく目にするようになりました。有名なインフルエンサーが相手を論破する際に使った言葉、しかもどんな場面でも使いやすい言葉だけに、なんでも小学生まで使っているそうです。
この言葉、もし自分が他者との会話の中で投げかけられた場合、どうしますか。もし私なら……きっと「カチン」ときて、「自分の考えは正しいんだ! 根拠もあるんだ!」と、必死にアピールしてしまいそうです。
しかし、これは一種の「煽り言葉」ですから、脊髄反射的な反論は、相手の思うツボ。まず一旦落ち着きましょう。むしろ「噂の例のアレが私の人生にも!」くらいの余裕を持って受け止められると良さそうです。
あるいは、「もしブッダがこの言葉を向けられたらどうするだろう?」なんてことを考えてみるのも面白いかもしれません。
もしブッダが言われたら……
お経を読んでいますと、よくブッダが弟子の方の名前を呼びながら、教えを説く様子が伺えます。お弟子がブッダに質問をする場面でも、ブッダはしっかりとその問いを聞いて、その上で「アーナンダ(阿難)よ」とか「シャーリプッタ(舎利弗)よ」と、お弟子の方々に語りかけられるようにして質問に答えています。そしてその時には、ただ単に論理的に教えを説くだけでなく、教えを聞く側の能力や性質などに合わせて、比喩などを用いてわかりやすく工夫もされています。
そんなブッダですから、たとえ私がこの言葉を向けたとしても、簡単に煽られることはないでしょう。お弟子の方々に優しく語りかけられたように、「日下賢裕よ」と、時に論理的に、時に巧みに比喩などを用いながら、滔々と説かれる姿が容易に想像できます。
どんな人にも、その人に応じて教えを説く。ブッダの「対機説法」と呼ばれる対話のあり方の前には、きっと「それってあなたの感想ですよね?」なんて言葉は、何の意味もなさなくなってしまうことでしょうね。
まあ、これはあくまで私の妄想に過ぎません。現実の私は、何も言い返すことはできなさそう。ブッダのようには、なかなかなれるものではありませんね。
手を打つ音は何の合図?
しかし、よく考えてみると、実は私たちは誰もが「自分の感想」の世界にしか生きられない存在でもあります。
例えば仏教には「一水四見(いっすいしけん)」という言葉があります。同じ水を見るのでも、立場が変われば見え方が違うことを表す言葉です。
この言葉をわかりやすく表した詩にこんなものがあります。
「手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る 女中茶を持つ猿沢の池」
奈良の興福寺に猿沢の池という池があります。そこで「パン」と手を打てば、その音が、池にいる水鳥にとっては危険な音に聞こえ、池の鯉にとっては餌をもらえる合図に聞こえ、茶店の店員さんには自分を呼び出す音に聞こえる。同じ音だけれど、受け取る側によって意味合いが変わってくる、ということです。
興福寺五重塔の影が映る猿沢の池。五重塔の影が映り、奈良の風情ある景観の一つ
例えば「リンゴ」という果物を目にした時、それを「美味しそう」と見る人もいれば、「うわ、嫌いなリンゴなんて見たくない」と感じる人もいるでしょう。あるいはリンゴに特別な思い出がある人は、その情景が思い浮かぶ、なんてこともあるでしょう。
私たちには、五感を通して感じたものに、自分の過去の経験などと照らし合わせて、「善し悪し」や「好き嫌い」などの価値判断や意味付けを行おうとする心のはたらき(作用)があります。その心の作用を通して、今私たちは、目の前にある世界を認識しています。私たちは皆同じ世界を生きているように感じていますが、実は人それぞれ違った「自分の感想の世界」を生きているのです。
ですから、私たちが「自分の感想」を言葉にしてしまうのは、ある意味では当然のこと。私が「自分の感想の世界」を生きているように、「それってあなたの感想ですよね?」なんて言葉を投げかけてくる人も、実は「自分の感想の世界」を生きていることには違いありません。お互い「自分の感想の世界」を生きている、ということを知っていれば、この言葉が如何に無意味であるかも理解できるのではないでしょうか。
感想から離れられたらそれはもう仏!
しかし、時にその心の作用は、自分の都合によって左右され、自分勝手な誤った理解につながることもしばしばあります。陰謀論のような荒唐無稽な話にさえコロっとだまされてしまうのは、その最たるものかもしれません。ですから、仏教では自分の心の作用に「待った」をかけ、それが自分勝手な都合に左右され過ぎていないかをチェックすることが大切であるとも考えます。
実際にそれを体現し、「自分の感想の世界」から離れることができたのが、ブッダです。ブッダが悟りをひらいた、というのは、自分勝手な都合や自分の感想に振り回されず、物事の有り様を「ありのまま」に見つめることのできる「如実知見」の智慧に目覚められた、とも言えます。
つまり、本当の意味で「それってあなたの感想ですよね?」と言えるのは、ブッダのように自分の感想の世界から離れ、「如実知見」の智慧に目覚めた人だけなのです。
自分の感想の世界にしか生きられない私たち。ブッダのようになることは難しいですが、せめてお互いの「生きる世界(=感想)」を尊重し合っていきたいものですね。
今日の一筆
【今日学んだお坊さんのことば辞典】
対機説法(たいきせっぽう)
相手の能力、性質に応じて教えを説くこと
一水四見(いっすいしけん)
立場が変われば見え方が変わる
如実知見(にょじつちけん)
現実をありのままに見抜くこと
日下賢裕(くさか・けんゆう)
1979年生まれ。石川県にある、浄土真宗本願寺派の白鳳凰山恩栄寺(はくほうおうざん おんえいじ)の住職。インターネット寺院「彼岸寺」の代表も務めている。法話は時事ネタを扱うことが多い。
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