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  • 執筆者の写真日下賢裕

テレビの中のボサツさん、ブッダさん【ぼんやり仏教④】


菩薩も悟りを開いた仏陀も稀有な存在……だと思いきや、僧侶・日下賢裕(くさか・けんゆう)さんが見つけたボサツさん、ブッダさんは、なじみのある、あの番組にいました。



悟りを開く(?)キャラクターたち


 仏教ファンとしてもおなじみのみうらじゅんさんが、昨年辺りからちょっと気になることをおっしゃっていました。それは『おさるのジョージ』に出てくる「黄色い帽子のおじさん」が、悟りをひらいているのではないか? ということ。

 

 毎回とんでもないトラブルを引き起こすジョージを相手に、一切怒らない黄色い帽子のおじさん。怒らないどころか、ジョージのやらかしをむしろポジティブに受け止めていくことさえあります。その姿は一見どうかしていますが、よくよく考えれば、あの怒らない姿は悟りの姿、菩薩の姿ではないか? さらに「ひょっとして、あの黄色は、実は金色の表現ではないか?」とまでみうらさんはおっしゃっています。


 私も息子とよく『おさるのジョージ』を見ていますが、親目線だと、もう胃が痛くなるようなエピソードばかり。それでも怒らないおじさんの姿を見て、「おじさんはジョージに怒ることなく接していて本当に偉いな……」と心の底から感心させられ、見習わなければと感じたものです。


 みうらさんが「黄色い帽子のおじさん」をまるで菩薩だという指摘に私もピシャリと膝を打ち、「そう言えば、他にもまるで菩薩や仏様のように感じられるキャラクターもいるな……」と妄想を巡らしましたので、今回はそれを紹介してみたいと思います。



アンパンマンは菩薩

 

 ブッダっぽさ、菩薩っぽさを感じるキャラクターで最もポピュラーなのは、やはりアンパンマンでしょう。実際「アンパンマン 仏教」と検索すると、アンパンマンに仏教を感じたお坊さんたちを少なからず発見することができます。確かにお腹をすかせている子どもたちに、自分の力が半減することをわかっていながらも、我が身(顔)を削って与え救っていく姿は、まさに菩薩のように見えます。


飢えた虎に我が身を差し出してその命を救っていく王子の「捨身飼虎(しゃしんしこ)」。我が命すら顧みずに他者に与えていくこともあるというのが菩薩のエピソード


 あるいはアンパンマンの好敵手であるバイキンマンと戦う姿も、私の目には菩薩のように映ります。「暴力で解決しても良いのか?」という議論もあるようですが、あのバイキンマンは実は人間の持つ「何事も思い通りにせずにはおれない!」という己の煩悩が具現化した姿であると見ていくとどうでしょう。アンパンマンは日々煩悩と戦い、ブッダを目指す姿だと受け止めていくことができます。



トップハム・ハット卿はまるでお釈迦さま!?


 さて、続いては『きかんしゃトーマス』からトップハム・ハット卿です。主人公のトーマスをはじめ、数々の機関車たちがいる「ソドー鉄道」を経営するのがトップハム・ハット卿ですが、彼ら機関車もまた「おさるのジョージ」のように毎日トラブルを引き起こす存在です。雨に濡れるのが嫌だからとトンネルから出てこなくなってしまう機関車がいたり、好奇心が旺盛なあまり、通行してはいけない線路に入り込んで事故を起こしたり、朝、寝坊をしてダイヤを混乱させてしまう機関車なんてのもいたりします。


 そんな個性的なたくさんの機関車を相手にしながら、鉄道を切り盛りするトップハム・ハット卿ですが、機関車がどれだけ事故を起こしたり鉄道に混乱を招いたりしても、決して彼らを見捨てたりはしません。それどころか時に厳しく、時に優しく、機関車たちの個性に合わせて指導・改善を促していく。その姿は、まるでお釈迦さまがお弟子の方々の能力や状況に応じて教えを説かれた「対機説法」のようです。また、機関車たちを依怙贔屓せず、能力に合わせて公平に活躍の場を与えていく姿からも、お釈迦様のような理想的なメンター像をうかがえます。



オフロスキーに阿弥陀仏を見た!


 そして私が最もこの場に挙げたいキャラクターは、オフロスキーです。オフロスキーは『みいつけた!』という子ども番組に登場するお風呂大好きなキャラクターなのですが、いろんな一人遊びやダンスをやってくれるオジサン(?)です。「呼んだ?」「呼んだよね~」と、呼ばれてもいないのに出てくる登場シーンが印象的で、一人遊びをやって、「またやろう」と帰っていく姿は、楽しげな中にもそこはかとなく哀愁が感じられます。


 そんなオフロスキーですが、最大の特徴は「呼ばれてもいないのに『呼んだ?』と出てくる」という点です。普通ならば、こちらの求めや呼びかけに応じて「呼んだ?」と出てくるものだと思うのですが、オフロスキーはそうではないのです。こちらの求めに関わらず「呼んだ?」と出てくる。つまり、私たちの呼びかけよりも、オフロスキーの声の方が先にくる。これが、実は阿弥陀仏という仏さまと同じ姿なのです。


 阿弥陀仏は「あなたを仏にするぞ」とはたらきかけてくれる仏さまですが、こちらが「阿弥陀さまお願いします」とか「阿弥陀さまー!」と呼びかける前に、すでに「南無阿弥陀仏」という声の姿となって、私のところに来てくれている仏さまです。つまり、呼んでもいないのに来てくれる。まさに、オフロスキーの呼んでもないのに「呼んだ?」と出てくる姿と重なるのではないでしょうか。



悪役ですら我師也!?


 さて、他にも菩薩や仏さまのようなキャラクターはいないかな? と考える中で候補に挙がりながら、当てはまらなかったのがドラえもんです。なぜなら、ドラえもんの眼差しは基本的にのび太くんにしか向いておらず、のび太くんを他の人物よりも贔屓したり、時には、のび太くんの欲望や怒りの手助けをすることがあります。そして、ドラえもんが大嫌いなネズミに遭遇した際には、「地球はかいばくだん」という道具でネズミを地球もろともに葬り去ろうとする、実に利己的な場面も描かれているからです。


 しかし、ふとこの原稿を書いているうちに、吉川栄治さんの「我以外皆我師也」という言葉が浮かんできました。さらに私の所属する浄土真宗の開山・親鸞聖人は、お釈迦様を亡き者にしようとした悪逆のダイバダッタすらも、お釈迦様に教えを説かしめるために菩薩が仮の悪人の姿となって現れた存在であると見ていかれたことも思い出しました。


 そのような姿勢を思った時、私自身、いろんなキャラクターに対して自分の都合だけで「菩薩や仏さまっぽい/っぽくない」ということを判断していたことに気付かされました。もしかしたら、ジョージやトーマスのようなトラブルメイカーも、怒らないことの大切さを教えてくれる存在と見ていけるかもしれませんし、バイキンマンのような悪役ですら、あえて悪の姿を借りて、アンパンマンに善の行いをさせるための存在と見ていくこともできるでしょう。マンガ『北斗の拳』では「強敵」と書いて「とも(友)」と表現していたことも、そのようなあり方を表現していたとも言えるのではないでしょうか。


 このように考えてみると、さまざまな作品に登場するライバルたちやヴィラン(悪党)、あるいはモブと称されるキャラクターに対しても、これまでとは違った見方をしていけるかもしれません。


 もちろん、暴力を用いて他者を傷つけたり、他者を欺くなど、悪を為すことは肯定できることではありません。また現実世界の人間関係においてあらゆる他者に対して「菩薩である」と見ていくことは困難であるかと思います。


 それでも、自分の都合だけで人を「良い人/悪い人」と見ていくのではなく、一度自分の都合から離れて他者の存在を見つめてみることで、それまでとは違ったその人の存在の大切さに出会える、そんな可能性もありそうです。


 今回は、子ども向け番組の中から菩薩や仏さまのように感じられるキャラクターを解析してみました。しかし、さらにそこからもう一歩踏み込んでみると、実はあちこちに私に大切なことを教えてくれているボサツさんやブッダさんがいるのかもしれない――そんなことをぼんやりと考えました。


今日の一筆


【今日学んだお坊さんのことば辞典】

菩薩(ぼさつ)

輪廻しながら修行を続け、仏と成ることを目指す行者。ただ単に自分自身の悟りを目的とするのではなく、多くの命を苦悩から救うために仏に成ることを目指す。


 

日下賢裕(くさか・けんゆう)

1979年生まれ。石川県にある、浄土真宗本願寺派の白鳳凰山恩栄寺(はくほうおうざん おんえいじ)の住職。インターネット寺院「彼岸寺」の代表も務めている。法話は時事ネタを扱うことが多い。


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