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  • 執筆者の写真日下賢裕

それは真実か!? 妄想か!? チャック・ノリス的最強ブッダ伝説【ぼんやり仏教⑥】


中2病炸裂エピソードは仏教界にもある!? 今回は、ブッダの足跡をたどりながら、僧侶・日下賢裕(くさか・けんゆう)さんが、ブッダがブッダであるがゆえの伝説を語ります。



これがブッダのファクト!?


「チャック・ノリスはキングコブラに咬まれ、丸5日もがき苦しんだコブラが死んだ」

「チャック・ノリスは死を恐れてなどいない。死が彼を恐れているのだ」


 これはアメリカの俳優、チャック・ノリスにまつわる逸話、「チャック・ノリス・ファクト」と呼ばれるものです。一種のジョークですが、映画やドラマで無双ぶりを発揮するチャック・ノリスのキャラクター像がアメリカで愛され続け、アメリカ的な「強さ」や「完璧さ」を表す代名詞となっているのだそうです。そこから2000年代に生まれた「チャック・ノリス・ファクト」はすでに100万種類以上あるとも言われ、まことしやかに語り継がれるようになっています。


 そんな「チャック・ノリス・ファクト」に私も笑わせてもらっていたのですが、「はて……どこかでこういうものに触れてきたような……」と、デジャヴのような感覚もありました。よくよく考えると、それはブッダ(ゴータマ・シッダールタ)にまつわるエピソードではないかと思い至りました。


 そこで今回は、ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)の一生について、より楽しく皆さんに知っていただくために、ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)にまつわる伝説を、「チャック・ノリス・ファクト」風にアレンジしてご紹介していきたいと思います!



「シッダールタが生まれた時、大地が震え、産湯の代わりに龍が雨を降らせた」

 後にブッダ(目覚めた人)となっていく人物は、元はゴータマ・シッダールタという名前でした。彼の誕生にまつわる逸話は数多くありますが、誕生の際には、大地が六種の振動をしたと言われます。この大地の揺れはインドでは吉兆とされ、さらに産湯の代わりに9つの龍が天から清らかな甘露の雨を降り注がせたとも伝えられています。シッダールタの誕生を祝う行事は「花まつり」として現在は知られていますが、かつては「灌仏会」と呼ばれ、誕生仏に甘茶をかける行為は、このエピソードが元になっています。



「『天上天下唯我独尊』、これが彼の産声だ」


 もう一つ、シッダールタ誕生の際の有名なエピソードと言えば、これですよね。生まれてすぐに七歩歩き、右手で天を、左手で地を指さして「天上天下唯我独尊」と言った、というエピソード。


 赤ん坊が生まれてすぐに歩いて、さらに言葉を発する。常識的な我々は、つい「そんなわけあるかい!」とツッコミを入れてしまいたくなるエピソードですが、七歩歩いたというのは、迷いの世界(=六道)を超えるという意味であるとか、悟りを得るための7つの方法(=七覚支)を表しているという説もあるそうです。


 また有名な「天上天下唯我独尊」には実は続きがあり、「三界皆苦吾当安之(さんがいかいくがとうあんし)」あるいは「今茲而往生分已尽(こんじにおうじょうぶんいじん)」と続くそうです。前者で解釈をすると、「三界(欲界・色界・無色界)の衆生はみな苦しんでおり、私がこれに安心を与えられる、唯一尊い存在になろう」という意味になります。後者の方では、「この生が最後であり、二度と輪廻を繰り返さない、唯一尊い者となろう」という意味になるでしょうか。


 どちらの説にせよ、ブッダとなることが誕生とともに宣言されたことになります。ですから、ただ単に「俺様が宇宙でナンバー1だ!」という傲慢な言葉ではなく、必ずブッダとなるという表明が「天上天下唯我独尊」という言葉の本質であると理解すると良いでしょう。



「老病死は恐れるものでない。老病死は克服するものなのだ」

 シッダールタを出家の道に歩ませたきっかけは「四門出遊」というエピソードとして知られています。城の外に出て初めて老人、病人、そして葬儀に出会うことで、誰しもが逃れられない苦悩の現実にぶつかったシッダールタ。その現実問題に悩みながらも、それを恐れて逃れようとするのではなく、克服できる道があるはずだと立ち向かっていく。これが出家の契機となり、仏教のスタート地点となっていくのです。



「シッダールタにも師はいた。しかし師の至った境地すら通過点に過ぎないのだ」

 出家したシッダールタは、二人の思想家に師事したと伝えられています。一人はアーラーラ・カーラーマ、そしてもう一人はウッダカ・ラーマプッタという行者でした。二人は瞑想による行をシッダールタに伝授しますが、シッダールタはこの二人の師の到達した境地に、あっという間にたどり着いてしまいます。しかしそれでも、自身の抱える問題は解決できないと、師のもとを離れて、苦行という修行を選びます。



「悟りへの道へは苦行すら生温い」

 苦行は、絶食・不眠・止息(呼吸止める)などを行い、欲望の元となっている肉体を徹底的に痛めつけ、精神の自由を獲得しようという修行です。シッダールタはこれを6年間も続けたと言われます。しかし、そのような苛烈な苦行によっても、老病死をはじめとした苦悩の解決には至りませんでした。悟りへの道は、苦行ですらも及ばないものだったのです。



「ブッダは悪魔など恐れない。悪魔が彼を恐れるのだ」

 苦行では悟りに至ることはできない。そう気づいたシッダールタは、菩提樹の下に坐り、再び瞑想に入ります。その瞑想の中で、次第に悟りへと近づくのですが、そこで悪魔の誘惑があったと言われます。その悪魔とは、自分自身の煩悩の最後の抵抗であったとも、当時の権威であったバラモン教による弾圧を例えたものであった、という説もあるそうです。どちらにせよ、悟りに近づくシッダールタはそのような悪魔を恐れることはありません。むしろシッダールタが悟りを開くことを恐れたのが悪魔だったわけです。そのような悪魔の囁きをはねのけて、ついにシッダールタは悟りをひらき、ブッダ(目覚めた人)となっていきました。



「ブッダは神に祈らない。神がブッダに懇願するのだ」

 シッダールタは悟りをひらき、ブッダとなったわけですが、当初はその悟りを他者に伝えることは考えていませんでした。それはおそらく、その目覚めた真理を言語化し、他者に伝えることが困難であることを理解していたからでしょうし、言語化できたとしても、理解し実践できる人がいるとは限らないということもあったでしょう。しかし、そこへ現れたのが、インドの最高神ともされるブラフマー(梵天)でした。このままでは苦悩を解決する道が閉ざされてしまうことを嘆いた梵天は、一部の人間だけかもしれないが、悟りをひらける人がいるはずだとブッダに懇願し、この梵天勧請をきっかけに法が説かれていきます。初めての説法は「初転法輪」と呼ばれ、これによって「仏教」が興っていくことになりました。



「ブッダは死を恐れない。すでに輪廻を超えているのだ」

 その後も80歳まで、伝道を続けたブッダ。いよいよ人間としての死を迎えますが、ブッダの死は「入滅」と呼ばれます。インドでは元々は「輪廻」という生命観がありますから、死は新たな生の始まりでもあります。しかし、その生まれ変わり死に変わりしていくことは、ただ「苦」を無限ループし続けることに他なりません。しかし、ブッダはその「輪廻」から離れた「解脱」を成し遂げた存在でもあります。そして、死によって肉体という最後の枷から解き放たれ、輪廻という苦のループからも離れ、絶対平安の境地(滅度)そのものに入ることから、「入滅」と呼ばれるのです。死も乗り越え、輪廻すら超えていく、この境地こそが、究極の悟り「無余涅槃」と呼ばれるものでした。


 今は春。春といえばブッダ(シッダールタ)が生まれた4月、ということで、ブッダの生涯を、「チャック・ノリス・ファクト」風にご紹介しました。中には「さすがに誇張しすぎだろ!」とツッコミを入れたくなるようなエピソードもあったかもしれません。しかし、アメリカで愛されるチャック・ノリスに「チャック・ノリス・ファクト」という伝説が100万種以上作られたように、ブッダにも数々の伝説があるのは、それだけブッダが多くの人に愛され、尊ばれた証であるとして受け取ってみるとよいのかもしれませんね。


今日の一筆


【今日学んだお坊さんのことば辞典】


・梵天勧請(ぼんてんかんじょう)

インドの最高神・梵天が、一部の人間かもしれないが悟りをひらける人はいるはずだと、法を説くようにブッダに懇願したこと


・初転法輪(しょてんぽうりん)

ブッダが仏教の教えを初めて人々に説いたこと


・無余涅槃(むよねはん)

肉体から解き放たれ、輪廻すら超えた真の平安の境地

 

日下賢裕(くさか・けんゆう)

1979年生まれ。石川県にある、浄土真宗本願寺派の白鳳凰山恩栄寺(はくほうおうざん おんえいじ)の住職。インターネット寺院「彼岸寺」の代表も務めている。法話は時事ネタを扱うことが多い。


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