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【書評】食べることと出すこと

更新日:2021年8月20日


『食べることと出すこと』

著者:頭木弘樹

出版社:医学書院/ISBN:9784260042888



食と排便を通して見えてくる「人間」


 表紙に「人間のトイレに座るゴリラの絵」が描かれているこの本を本屋さんで見かけて、「大人のためのウンコ本だ!」とうれしくなり、すかさず買いました。そんな軽い気持ちで買った本ですが、読み進めてみると、良い意味で「深い」のです。


 潰瘍性大腸炎という難病を抱える著者は、ほとんどの食べ物が食べられなくなってしまいます。脂肪が多いもの、食物繊維が多いもの、果物でもイチゴのようにタネが取り除けないもの、コーヒー、紅茶、アルコールや甘いもの、乳製品もダメで、コショウやトウガラシのような刺激物もご法度です。「こうして、一時間くらいの食事指導の間に、私の食大陸はほとんどが他国の領土となってしまい、残された我が領土は、驚くほどわずかなものだった」(67ページ)と著者は書きます。


 驚かされるのは「食というものが人間関係に及ぼす影響」です。食事は単に栄養を補給するだけではなく、人とコミュニケーションをとるためのものですが、多くの食材が食べられない著者は、この「食コミュニケーション」に悩まされます。というのも、仕事でもプライベートでも「人間関係は飲食を通して深まる」ことが多く、人は「食べない人」に対して何かと厳しいのです。


 世間では「偏食をする人」が非難されがちですが、驚いたことに「難病で食べられない人」に対しても納得しない人が多いのだそうです。たとえば著者が食事を共にする相手の前で料理に手をつけずに「難病でこれは食べられないんです」と説明をすると、相手は「そうなんですね」と一旦は納得をしたそぶりを見せるものの、しばらく経つと「ちょっとぐらいなら大丈夫なんじゃないですか?」とか「これ、おいしいですよ」などと言っては食べるように促してくるのだとか。


 病気で入院している人に「食べられない食べ物」を見舞いの品として持参する人も少なくないそうで、病人は病人でも「食べる病人」が健常者に好まれがちだと言います。この現象について著者は「「食」でつながることを求める圧力は、難病というハードルさえ超えるのである。それほど強力なのだ」(115ページ)と書いています。


 潰瘍性大腸炎は治らない病気であるため、症状がおさまっているかのように見えても、それは「寛解」の状態で、いつまた酷い下痢を繰り返す「再燃」の状態になるかがわからず、この難病は「たき火のような病気」だと書かれています。火が消えたように見えても、実はまだ火力が残っていて、いきなり燃え上がることがあるのは、健常者にはなかなか理解されにくいのかもしれません。


「食コミュニケーション」以外にも、本では世の中の綺麗事を見事にぶった切っているのが読んでいて気持ちがいいです。難病を抱えているからこそ目につく「世の中の綺麗事」がこんなにも沢山あるのだと気付かされます。たとえば、病気を抱えていても何かがうまくいった人はそれを「自分の努力」の結果だと考えますが、著者は具体例を挙げながら「努力は素晴らしいものだが、うまくいかないことを全て「努力不足のせい」にされたら、たまったものではない」(290ページ)と疑問を呈します。


 深く頷いたのは「骨折」というものを「心のせい」にする人はいないのに「内臓の病気」は「心のせい」にされがちだということです。潰瘍性大腸炎という難病が「心の持ちよう」で治ることはないのに、内臓の病気ということで、何かと「そんな性格だから病気になる」というお説教の対象となってしまいます。


「明るくしていたほうが病気にもいい」という考え方が世の中で幅広く支持されている背景には、健常者の「病気だからといって、ずっと悩んでいるような暗い人は見たくない」という気持ちが根底にあります。つまりは健常者の多くが「明るくふるまう人」が好きだから間接的に病人に明るくすることを求めているわけです。


 日本も含む先進国の人は発展途上国を訪れると「発展途上国の子供達には元気と活力があって、先進国の子どもたちよりずっと幸せそう」といった類の発言をすることがあります。しかし著者は「発展途上国では元気じゃない子どもは死んでいるのでは?」(304ページ)と鋭い指摘をしています。


 そんな綺麗事をぶった切る著者だからこそ、人間の日常であるにもかかわらずあまり公の場でスポットが当たらない「出すこと」も詳細に描けるのでしょう。ドラマや映画などで人間が長期に渡りどこかに閉じ込められているシーンであっても、脱水になったり汗だくになるなどの描写はあっても、最も現実的である「糞尿まみれの人間」が描かれることはめったにありません。密室で行われる排泄は健常者にとっては「何でもないこと」であっても、病気を抱えるなどして排泄に問題が生じてしまうと、それが密室だけに、当事者はひどく孤独です。


 この本が特別なのは「出すこと」つまりは排泄について著者が難病を抱える当事者として自身の経験を詳細に描いていることです。どれも深刻な内容なのに、これを著者はユーモアたっぷりに描写しています。

重要なテーマを扱いながらも堅くなく、「目から鱗」の情報がたくさん含まれているこの本、大人だけではなく十代の子にも読んでほしいです。身体のことだけではなく人間の心についても知ることができ、心の底から「この本と出会ってよかった!」と思いました。


 

サンドラ・ヘフェリン

ドイツ・ミュンヘン出身。日本在住23年。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「多文化共生」をテーマに執筆活動中。ホームページ「ハーフを考えよう!」を運営。 著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』(中公新書ラクレ)、『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)、『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(中央公論新社)などがある

 

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