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執筆者の写真Byakuya Biz Books

「『その特集 差し替えようか』が 校了日」編集者が作った業界かるた

更新日:2021年8月20日



「苦しんだ 末に出てくる クソ企画」「この原稿に 3日もかかった うそでしょう」など、編集者であれば思わず「あるある!」と共感してしまう業界かるたが発売された。それが「昭和モーレツかるた」である。そんな“編集者あるある”が満載の業界かるたを作ったのは、この道40年の編集者だった。業界で長く活躍してきた大先輩に、編集の何たるかを教えていただこう。



心にグサグサ刺さる編集者続出(!?)の「昭和モーレツかるた」


――「昭和モーレツかるた」は編集者を対象にした、ちょっとニッチな商品です。どういう経緯でこの企画は生まれたんですか?


もともと名古屋の太陽社という会社が、昭和30年代に駄菓子屋向けのかるた(※1)を作っていたんですよ。昭和ならではの絵なんだけど、知人のライターが趣味で違う読みを入れる遊びをしていて。それを見つけて、商品化しようと声をかけたのがきっかけですね。


もう絵の権利は切れていた(※2)から、絵柄をリユースしつつ読み札を編集稼業に置き換えました。読み札は44だけど、全部で100個くらいは考えたかな。まだまだあるんですけど、字並びが悪いとかね。


※1 名古屋の印刷雑貨製作会社・太陽社が製作したアクションかるた。箱絵や絵札には当時、テレビや映画で子どもに人気だった西部劇や刑事ドラマを参考にした絵柄が書き下ろされた


※2 絵柄は無名での発表によるもので、公表後50年を経た2018年にパブリックドメインになった


――絵柄と読み札のギャップが絶妙ですよね。


ひと言でいえば、見立てのおもしろさです。日本人は見立てが得意だと思うんですよ。たとえば、枯山水の石庭なんて、白砂利と庭石を島と水の流れに見立てている。「昭和モーレツかるた」も、どう見ても白バイ警官なのにバイク便と言い張っているし、街の不良をYoutuberと言い張る(笑)。


昭和の絵柄っていうのがいいですよね。昭和はエンタメのテーマとしてすぐれていて、西武遊園地も100億円をかけて昭和の街並みを作りましたし、『昭和40年男』という情報誌も群を抜いて売れているし。


ただ、実はこのかるたには裏テーマがあるんです。同じ絵柄を使った、人種差別的なパロディー作品が出回っているんですよ。ぼくはこれにムカついていて、こんなことを嬉々としてやっているのはカッコ悪い。だからたくさん売って、この絵柄で世の中に出回っているのは「昭和モーレツかるた」にしたい。


高橋信之(たかはし・のぶゆき)。1957年4月生まれ、東京出身。これまで3000冊の出版物を製作したほか、広告や商品開発、映像メディアなど、幅広い分野で活躍中。


――ボードゲームの「サメポリー」も非常にユニークな商品ですが、ふだんから商品化できそうなアイデアを考えているんですか?


100本アイデアを考えて、実現するのは3本ですね。おそらくぼくのノートパソコンには何百とメモ書きが入っています。アイデアを考えるのが好きなんですよね。


――その中で次に実現してみたいものは?


今、気になっているのは春画展です。ロンドンの大英博物館が日本の春画をフィーチャーした展示会を開催して大成功したんです。その仕掛人が目白の永青文庫で春画展を開催したら、こちらも大成功を収めた。老若男女問わず、いろいろなお客さんが来場して。


もちろん、芸術作品として鑑賞するのもいいんだけど、ちょっと趣旨を変えて開いてみたい。それが暗闇春画展です。これは想像ですけど、当時の春画って、こそこそと集めたものを夜な夜な蠟燭の明かりで見るものだったと思うんですよ。一人でも複数でも。だから、その雰囲気を再現するべく、日本旅館を貸し切って、布団を敷いて見るとか。


暗闇って人間の本質が隠されていると思う。ぼくたちは暗闇社中といって、世の中の暗闇にある現実を探して光を当てるというテーマを掲げて活動しているんです。ただサブカルとかカウンターカルチャーが好きというだけかもしれないけど(笑)。



商品開発のコツは「誰に投げて喜ばれるのか?」を意識すること


――サイバーダインでは商品企画をされていますが、もともとは編集がメインの会社だったんですよね。


そうです。1981年に(有)スタジオ・ハードという会社を立ち上げてもう40年になります。アニメ雑誌や映画雑誌、ゲームの攻略本など、3000冊は作りました。この40年の間に会社を乗っ取られたり、潰したり、新しく作ったり。昭和の編集者としてがんばってきました。最近は本の編集からは少し引いて、おもちゃやグッズ製作をはじめ、プロデューサー的な仕事が多いですね。


――3000冊はすごいですね……。


スタジオ・ハードはグループ全体で100人ぐらいいたんですよ。1990年代から2002年ぐらいまでだったかな。2000年ぐらいにヘマして、会社を乗っ取られてしまったわけだけど。


――なんで乗っ取られてしまったんですか?


当時はレコーディングスタジオとか、いくつかグループ会社もあったんですけど、簡単に言うと「株式上場してもっと大きくしよう」という口車にのせられてしまった。その結果、グループ会社が多額の負債を抱えてしまったんです。だからグループ会社を解散させて、負債はすべて本体で背負ったわけですね。


その後、2003年にスタジオ・ハードデラックスという会社を立ち上げて(2018年まで活動)、現在は2007年に立ち上げたサイバーダインのほか、トランスメディアと、ネビュラという中国との合弁会社の3つに関わっています。


――高橋さんはガイナックスの発起人(1984年)だったり、2014年には出版社の代表取締役に就任するなど、かなり手広く活動されていますね。


これまで20社ぐらいは立ち上げに関わったけど、基本的には自分がおもしろいと思うことをやっているんですよ。ぼくは飽きっぽいから、雑誌であれ商品であれ、何かがヒットしたら若い人に任せてしまう。そして、ぼくはまた新しいことをやる。チャンスメイクというか、チャンスプレイスをしているわけ。


たとえば、早稲田でアメコミとフィギュアのお店を経営していたことがあって。当時、フランス人留学生だったフランク・デュボアくんが店長をやっていたんですね。彼はその後、ホットトイズという会社を立ち上げました。今では米国マーベル社のフィギュアなどで一躍有名になって。うちにいて、商売がうまい人はどんどん成功していくんですよ。


――自身は稼ぐ以外のモチベーションのほうが強い?


いつもスタッフに叱られるんですよ。「勢いで発注をするのはやめてください」って(笑)。でも、途中から稼ぎよりもおもしろさを優先してしまう。経営者としてはよくないんだけど、稼げる経営者は作品が好きとかおもしろいかよりも、商売優先ですからね。ぼくはクリエイター気質のほうが強いのかもしれない。


もちろん、儲かるだろうという感覚を覚えることもあるし、逆もしかり。絶対に儲からないと思うものはFacebookでベラベラしゃべってしまう。そして誰かがそれを試して失敗したら、「やっぱり失敗した」と確認するんです(笑)。



――「昭和モーレツかるた」はどうでしょうか。


どうでしょうね。そもそも編集者に喜んでもらうために作ったから。クスッと笑ってもらって、こんなおもしろいことをしている会社だと思ってもらえれば。ただ、自分と同じことをおもしろがる人間は日本に5000人ぐらいはいるんじゃないかっていつも思うんですよ。「この映画が好き」とか、「あの本のココが好き」とか。


商品化するときは5000人を基準にしているんですけど、その5000人の中でもピカイチの人が、ぼくの師匠でSF作家でありコレクターだった野田昌宏さん。野田さんにすごいと言ってもらえるかな?という想像をよくしますね。


――なるほど。


それと、他人承認欲求が生まれるかどうかも重要です。自己承認欲求は「こんなにたくさんのプラモを持っているんだ、すごいだろ」とか、「このアーティストはデビュー前から知っている」とか、誰でも少なからず持っていますよね。ただ、最近はネットで悪口を言ってマウンティングしたり、自己承認欲求がゆがんだ形として表れている。


一方で他人承認欲求は、自分以外の誰かについて「この人、スゴイでしょ」とわかってもらいたい欲求です。「ロッキー・ホラー・ショーはあのキッチュな感じがスゴイんだよ」といったことを、他人に一生懸命に伝える。こうした「自分がいいものを誰かにオススメしたい」という気持ちを持ってもらえるかどうかは、売れる作品にとって欠かせない要素だと思いますね。



どうなる編集者!?


――1年間で最大何冊ぐらいの本を作ったことがありますか?


年間で300冊を超えたときがありますね。『スーパーマリオ64』が発売された1996~97年あたりで、14冊も関連本を作ったんですよ。うちがくわしいから、いろいろな版元の人が来ては依頼されて。


この頃は本当に攻略本の製作依頼が多くて、仕事をさばかなきゃいけないから人を雇って、人を増やすからクライアントも増やして……のくり返しで、最終的には100人態勢になった。でも、いつか終わると思っていましたよ。インターネットが普及したら、特に攻略本は減っていくから、年間2~300冊の体制は崩れるだろうと。


そして会社のゴタゴタがあって、スタジオ・ハードデラックスという会社で再スタートを切ったとき、最初に決めたのはもう攻略本は作らないことでした。2001年ぐらいに決めましたね。じゃあ何をしたかといったら、デザイン主体の会社にしたんです。


出版業界は2000年あたりから売り上げが下がり始めた。それまでは編集部で1年間に5万部の本を6冊、合計30万部作ればよかった。ところが、1冊ずつの売上が下がってきた結果、売上をキープするために刊行点数を増やさないといけなくなってしまったんです。


売上が下がると編集費にしわ寄せがいきます。もっと言うと、著者やライターのギャラが半分近くになってしまった。そんな状況でも値切られないのはデザインだと思ったわけです。刊行点数を増やして発行部数を確保するなら、装丁の仕事は増えるとふんで。実際に成功しましたね。


――実はしたたかさもありますね。


自分は好きなことをやっておきながら、人に任せる仕事は計算高い(笑)。


――いまの出版業界をどう思いますか。


実際にシュリンクしているけど、決して悪くはないと思っています。ネットメディアにどう対応するかですよね。それが協力する道なのか、戦う道なのかはわかりません。ただ、電子ニュースもキュレーションサイトもたくさんありますけど、新聞社のニュースギャザリング機能――情報を集めて整理して流す機能は絶対必要です。


これまでの雑誌や新聞で連載→書籍化という流れも、ネット記事から書籍化も一般的になってきましたし。うちは紙だからできることとして、重さ7キロの本を作っているんですよ。有名なSF映画の豪華本なんですけど、国内では1万8000円、限定で数百部ぐらいにする予定です。


――そんな業界で今、編集者に求められているのはなんでしょうか。


編集という文字どおり、編み、集める能力です。昔、テレビ情報誌や通信社でライターをやっていた頃、300文字の原稿に対して1000文字の下原稿を書かされたんですよ。1000文字のうち、必要な情報は半分だから500文字に圧縮をする。


さらに、その500文字から200文字を削っておもしろい300字にしろと言われるんです。このくり返し。テレビ情報誌も通信社も、1000文字分の原稿料をくれた。でも、300文字しか使わないんですよ。


これはやっぱりすごく大事で、いかにおもしろいところを抽出するのか。それこそ編集者が持っているべき能力だと思いますね。編集者抜きでうまく書ける人もいるけど、決して多いわけじゃない。だからこそ、編集者はこれからも必要だと思いますね。

 

「昭和モーレツかるた」

 

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