陸上自衛隊――日本の平和と独立を守る組織だ。隊員はその目的を果たすため、厳しい訓練によって肉体的にも精神的にも極限の状態に追い込まれる日々を送る。一般社会に暮らす私たちにはなかなか想像ができない世界だ。今回、対談をしていただいた荒谷卓さんと大畑慶高さんは、ともに自衛隊で順調なキャリアを歩みながらも、自衛隊を離れるという決断をした。そんな二人に、自衛隊での生活や、自衛隊を離れた理由、さらにはwithコロナという極限状態に長く置かれているといっても過言ではない、今の日本社会で生きる術を聞いてみよう。
自衛隊で順調にキャリアを積み上げるも……?
――お二人はともに陸上自衛隊に入隊しながら、途中で辞めて違う道に進んだという共通点がありますね。
大畑 僕は国立の高専を卒業した20歳のとき、陸上自衛隊に入隊しました。松本駐屯地を希望したんですよ。当時は個人的な強さも目指していて、松本に格闘空手のチャンピオンがいることを知ったから。毎日18時まで訓練して、18時から21時までは格闘技の練習をしていましたね。
2年目に山岳レンジャーに入隊。3年目に陸送教育、4年目に助教、そして5年目に辞めると伝えました。幹部になっても定年を考えたとき、自分は何の役に立てるのか疑問に思ってしまった。僕は国の役に立つために入隊したわけですが、その機会がないことを知ってしまったんです。
防衛白書を読むまで、「自衛隊員が国のために命を使うのは、戦争に行って死ぬしかない」と思っていたのですが、日本は戦争できないことを知らなかった(笑)。国際緊急援助隊のメンバーではあったけれども、その時期は、特に緊急事態があったわけでもなかったから、なおさらそう思ったのかもしれない。
――辞めたあとのことは考えていたんですか?
大畑 辞めようと思ったとき、たまたま先輩が子どもたちに武道の指導をしていたのを見たんです。「武道教育は子どもたちの可能性を広げるな」と思って、武道の道に進もうと。そう思ってからは、空手のチャンピオンを目指して1日7時間練習しました。空手道禅道会の内弟子を経て、空手の全日本大会に4回優勝し、道場も開きました。
荒谷 私は大学時代、ある先生から「お前は軍人の顔をしているから行ってこい」と言われたのが、自衛隊入隊のきっかけですね。一般幹部候補生として福岡の第19普通科連隊に入って、調査学校、第1空挺団、そして弘前第39普通科連隊で中隊長をやって、ドイツに留学したあと、7年ぐらい防衛庁(当時)の本庁に勤務しました。そこで特殊作戦群という特殊部隊を創設して。
――特殊部隊というのは?
荒谷 陸上自衛隊および防衛省において、公式に特殊部隊と定義された部隊で、特戦群と呼ばれています。アメリカのグリーンベレーに留学して、ノウハウを取り入れました。特殊部隊は一般の部隊では不可能な任務を遂行できる組織でないとならない。そのために、自衛隊内のこれまでの常識とは根本的に異なる部分があり、前例主義の役人仕事とは徹底的に戦う腹づもりで始めました。
大畑 自衛隊という組織でゼロから一をつくるぐらいだから、最初から辞めるつもりで、腹をくくっていたんですね。
荒谷 自分のキャリアを気にしていたのでは特殊部隊はつくれません。陸上幕僚幹部のそれぞれの担当部署の指導であっても従えないこともありました。たとえば、特殊作戦に必要不可欠な装備や隊員育生のための教育訓練基準など。また、精神面でもゆずれないものがありました。群長室に神棚があったんですよ。「これは何だ?」と聞かれるから、「神棚ですよ、見たことないですか?」と答えて(笑)。「これはダメだろう。取り除け」と言われるんだけど、「日本人ですから、それはできません」と。
――自衛隊というと、上官の命令は絶対というイメージですが……。
荒谷 もちろん、法律に基づいた命令に逆らったら、それは命令違反になりますよ。ただ、根拠のない指導や指示には従う必要はありません。
大畑 そうですよね。僕も上官に逆らうことは多かったですけど、指揮命令系統の上官による正当な命令に対しては、一回も逆らったことはないですよ。そこが骨子だから。チャチャを入れてくる人はダメでしたけど。
――そういう人は多いんですか?
荒谷 あまりいなかったら、やっかいだったと思いますよ。私は陸上自衛隊に入隊したときから「自衛隊を戦える軍隊にしてやろう」と思っていたから、よく生意気なこと――たとえば「自衛隊は抑止力のために……」なんて言われたら「なんだ、抑止力っていうのは。ケンカが強くないと抑止力にならないじゃないか」みたいな――をストレートに言うから、怒られるんですよね。腕立て伏せさせられたり、正座させられたり。
――周囲から目をつけられたりは……。
荒谷 悪い意味で一目を置かれていましたよ(笑)。「危険人物」とか「あいつは極右だから」とか言われていました。一等陸佐になっても服務指導を受けましたよ(笑)。靖国神社の清掃奉仕で、制服を着ていって。将軍閣下から「荒谷、もう一佐なんだから、いい加減やめたらいいんじゃないか」と言われて。「何を言っているんですか。一佐だからやっているんですよ」と。自衛隊の仕事はしっかりとしたうえで、終始一貫して本心を表に出していたので、次第にまわりがあきらめるんですよね。つまり、荒谷だからしょうがないかというポジションができる。
荒谷卓(あらや・たかし)さん。1959年生まれ。東京理科大学を卒業後、陸上自衛隊に入隊。第19普通科連隊、調査学校、第1空挺団、弘前第39普通科連隊勤務後、ドイツ連邦軍指揮大学留学。陸幕防衛部、防衛局防衛政策課戦略研究室勤務を経て、米国特殊作戦学校留学。帰国後、特殊作戦群編成準備隊長を経て特殊作戦群初代群長となる。2008年に退官、2009年に明治神宮武道場「至誠館」館長に就任。2018年に国際共生創成協会「熊野飛鳥むすびの里」を創設し、共生社会をつくるべく活動中。著書に『サムライ精神を復活せよ! 』(並木書房)などがある。
――特殊作戦群を創設するにあたって、むずかしかったことは何ですか?
荒谷 政治や法規という根本的な問題に根付いた、戦わない武装集団の組織文化はいかんともしがたかったですね。それでも、日本を愛しそのためには命を惜しまない隊員もいました。
大畑 法律は政治家じゃないと変えられませんからね。でも、特殊作戦群を創設したのは風穴を開けたようなものですよね。
荒谷 物事を新たにしようと思ったら、ルールを変えないといけない。じゃあ、どうすればルールを変えられるか? それはルールをつくれるポジションを取るしかない。そういう意味では、防衛関連法規の業務に関われたことは意味がありました。私がいた頃は法律ラッシュで、周辺事態法、イラク特措法、テロ特措法……いろいろな特別措置法がバンバンできた。いくつか法案作成業務にからんでいたんだけど、ただ法律だけをつくってもダメだから、法律を実際に運用する手段がないといけない。特殊作戦群をつくったのもその一つ。
結局、ルールメーカーが強いんですよ。一時期、日本の柔道がオリンピックでメダルを取れなかった時期があります。それは、選手の実力が落ちたわけではなくて、ルールが変わったからです。IOCの下の国際柔道連盟の役員に日本人が一人も入れなくなって、日本人が国際ルールに関与できなくなってしまった。その結果、どんどんルールが変わって、日本人が勝てないルールになっていった。だから、ルールメイキングする立場をどうやって獲得するか。これが大事なんですよね。
――ただ、ルールをつくる側に回るのは大変ですね。
荒谷 ルールメイキングするためには、必ずしも自らがそのポジションを得る必要はありません。そのポジションにある人に自分の意見が通るような影響力を持てばいい。一般的に、組織の中でポジションを取ろうと思ったら、組織におもねったような生き方になってしまう。そうしたくないのなら、ルールメイキングできる立場の人に影響力を行使できるようになればいいだけです。
まずは好き・嫌いを自覚せよ! 話はそれからだ
――大畑さんが所属していたレンジャー部隊というのは過酷で有名です。具体的にどんなことをするんですか?
大畑 レンジャーの訓練は3カ月間で前期と後期に分かれていて、前期が基礎訓練、後期が行動訓練を行います。この期間はとにかくキツかったですね。朝5時から夜の12時までに及び、夜中の非常招集もざらでした。
体力的な訓練も回数ではなくて、時間なんですよ。たとえば腕立て伏せを2時間、スクワットを30分間とか。行動訓練では1週間、山中を飲まず食わずで100キロメートル行軍したこともあります。40キロの背嚢(はいのう)を背負って、敵の施設を攻める想定訓練です。体力もメンタルもある隊員とはいえ、さすがに疲労します。終わったとき、60キロあった体重は45キロになっていましたからね。
厳しい訓練で脱落する隊員も少なくないとか
――荒谷さんは精鋭をたばねる立場でもあったわけですが、あえて特殊部隊の隊員に必要な資質があるとすれば何でしょうか。
荒谷 私が理想とする特殊作戦戦士は自立して主体性のある人ですね。指示を待っている人はダメです。特殊作戦ではつねにユニットで動くとも限らないから、バラバラになったとき、自分でジャッジしないといけません。予想していた状況と違うことなんてよくあることですから。「何をすべきか」という共通認識だけ持っていて、あとはその状況で判断するんです。
――主体性は一般社会に生きる我々にも必要なものだと思いますが、まわりに流されない強い意志を持てるかというと……。
荒谷 あまりむずかしく考える必要はなくて、社会人なら、自分の仕事をちゃんとこなしていれば、自分の考えを言ったからといってクビになったりしないと思うんですよ。やるべきこともしないで自分勝手なことを言っていればクビになるだろうけど、しっかり働き「おそらくみんなも思っているんじゃないか」ということなら、周囲の同意も得られやすい。
私も上官からよく怒られたと言ったけど、「お前の気持ちはわかる。でもな、組織としてはやめとけ」という怒られ方なんですよ。「ばかやろう」という完全否定ではない。服務指導を受けたときも、上司だって「自衛官が制服で町を歩いてはいけない」ということに対して、おかしいと思っている。それでも、しょうがないという気持ちなんです。
――自分の意見がない、という人に対してはどうでしょう。
荒谷 本当は持っているんですよ。「好き・嫌い」は誰でもありますよね。要するに、自分の意見を確立、または自覚できていないだけです。だから、「なんか、違うな……」「これをやりたいわけじゃないんだよな」と感じるんだけど、何が違うのかを言い表すことができない。それがストレスの元になるんですよ。
だから、どんなことでもいいから、自分の意見はこれだ、自分がやりたいことはこれだ、というものを持つことができれば、少なくとも何が違うのかは鮮明になる。ギャップがわかれば、具体的な対策を講ずることもできる。結果的に思い通りにはならないかもしれないけど、対策を講じているかぎり、モヤモヤしたストレスを抱えることはないと思う。
大畑 目的に向かって行動しているときは楽しいですからね。
荒谷 現実にできている・できていないことは別にして、少なくとも自分で正しいと思うことに向かって行動しているという自覚がありますからね。
大畑 無自覚に嫌なことだけをしているからストレスになるんですよね。
荒谷 そう。まずは自覚して、現実と比較する癖をつけたらいい。どうやったら自分が本来やりたいと思っている方向へ、少しでも現実を近づけられるのか。それを心がけてみるといいと思います。
そんなの合理的ではない、と思うかもしれませんが、合理的というのは、できるか・できないかでジャッジすること。やりたいことがあっても、できないと思ったらやめてしまう。そうなるとやる気を失ってしまう。だから、「できる・できない」ではなく、「やる・やらない」で決めたほうがいい。「やる」と決めたらとにかく行動するんです。
大畑慶高(おおはた・よしたか)さん。1974年生まれ。国立沼津工業高等専門学校を卒業後、陸上自衛隊に入隊。2年目に3大レンジャーの一つであるアルペンレンジャー隊員となり、陸曹として隊員の教育に尽力。陸上自衛隊に6年間所属したあと、空手道禅道会の内弟子を経て、空手の全日本大会に4回優勝。横浜市を中心に述べ人数1000人以上に教える。現在は、「男は強く、女は美しいと日本は元気!」をモットーに、空手道場や障害児通所支援事業、エステティックサロン、美容機器メーカー業、化粧品製造販売業を行なっている。
コロナ禍の今だからこそ、共生が必要だ
――特殊作戦群初代群長、明治神宮武道場「至誠館」館長と華々しいキャリアを築いてきた荒谷さんがなぜ、三重県の山奥に移住したんですか?
荒谷 ここ――熊野飛鳥むすびの里に住んでいる理由は、世界を変えるためです。ここは50人程度の集落です。全員が顔見知りで、みんなが自分のことのように、集落にいる人のことを思うわけですよ。たとえば、今、うちの道場を増設しているんですが、木を切り出す手伝いに来てくれる。チェーンソーを持って。それはボランティアではなく、自分ごととして来てくれる。だから、お礼にと何か菓子折りを持っていくと怒られてしまう。
そういう共同体というか、同じ生命体のように生きていくコミュニティーを世界中につくっていきたいんです。国家のような中央統制じゃなくて、それぞれの小さいコミュニティーがお互いに尊重しあって暮らしていく。現代の日本はだいぶ変わってしまったけど、それが日本の文化の基盤だと思っているんです。
大畑 田舎が文化を守り、都会が文化を壊しているという見方もできますよね。田舎は排他的と言われるけど、それで文化を守っているわけでもある。地域という枠の中で生きていく。僕は都市部で暮らしているわけですが、そういう枠組みから出ているという意味で、文化を壊してしまっているのかもしれない。
熊野飛鳥むすびの里
――日本ならではの文化とはいえ、今の日本人ですら失いかけているわけで……。
荒谷 日本の文化で世界を変えるなんて、現実的ではないと思うかもしれませんね。私も日本人が自立するために、日本の文化を再生しようと思っていたんです。でも、明治神宮の武道場館長として、毎年世界の人たちに日本武道を教えていたら、日本人よりも外国人のほうが圧倒的に日本武道に興味を持っていることがわかりました。たとえば、人を殺すための刀剣が、日本では活人剣として人を生かすものとして認識されている。そういう考え方に驚き敬意を払うわけですね。
大畑 そうなんですよ。僕もコロナ前は海外で武術指導に行っていたんですけど、武道を介すると、アレルギーが起きずに伝わるんですよね。心が少しでも伝われば、日本に親しみを持ってくれる。
荒谷 日本の文化に対する関心やあこがれが驚くほどある。武道は政治性も宗教性もないしね。
――荒谷さんは理想と現実のギャップが大きくて挫折したことはありませんか?
荒谷 ないですね。失敗した経験はありますよ。腹が立ってしょうがないことだってたくさんあります。若い頃から自衛隊をすべて戦える軍隊にしようとか、途方もないことを考えていたから。それでも、ギブアップしたことはない。もちろん否定的な要素は考えますよ。むしろ、計画はふつうの人よりもシビアにつめるほうだと思います。でも、動いているときは楽観的。
大畑 生きているかぎり、ギブアップする必要はないですよね。
――この集落が、荒谷さんの考える理想的な形なわけですよね。その一方で、コロナ禍で個人でいることを強制されてしまっています。
荒谷 コロナ禍ではできるだけ他と接触しないで暮らす社会様式が推奨されています。そうなるとどうなるか、植民地化された所では、基本的には集会が禁止されました。集団化すると反抗されるから、個人に分割して管理する。それと同じですよ。誰かと自由に会話もできない。すべての情報は管理されたものになる。社会は壊れてひ弱な個人だけの社会になる。個々に分割された人間は何もできなくなります。
新自由主義なんて競争原理でしょう。競争というのは必ず勝敗がつく。アメリカのブッシュ前大統領が言ったように、これが今の世界的な秩序になっている。新世界秩序と呼ばれている競争の勝者であるエリートによる管理社会ですよね。分断化された個人は何もできない。
『サムライ精神を復活せよ!』(並木書房/左)と『伝説の元レンジャーが教える 最強メンタルの鍛え方』(白夜書房/右)
――人と関わらなくても、一人で完結できるほど、便利な世の中になったとも言えます。
荒谷 便利さは裏を返せば、依存しているということです。本来は自分でやらないといけないことをほかの人に依存した状態を便利と言っているわけだ。そして、その依存先は誰かというと、資本を持ったり、権力を持っている人たち。それが当たりまえになれば、簡単に管理されますよね。
今、ウッドショックが起きていると言われています。新型コロナウイルスの影響で、外国から木材が入ってこなくなってしまった。その結果、東京だと木材の値段が3倍、このあたりでも2倍になっています。それが市場の原理であり、逃れられないんですよ。
一方で、私は自分のところで木を切り出しているから、なんの影響も受けません。だから、お金は自分で生存できる仕組みをつくるために使ったほうがいい。お金だっていつ意味がなくなるかわからないから、できるだけ生活基盤に変えておく。
このむすびの里は3年目ですけど、今はポスト新世界秩序のための基盤づくりです。口だけになってしまっては嫌だから、自衛隊で特殊作戦群を創設したように、実体のコミュニティーをつくっている。お金に頼らない、かといって物々交換でもない。余剰分はみんなで共有する。そんな近代的経済概念とは違う共同体をつくっていきたい。
――荒谷さんだからできる、とも言えますね。
荒谷 ずっとそれではよくない。みんながささやかに自立して、集まってそれなりになっていく。だから自立、主体性が大事なんです。絶対条件とさえ言えます。私はあと何年生きられるかわからないけど、道半ばでも、前のめりに倒れる、後世につながる形を残したいと思っています。
熊野飛鳥むすびの里
住所:〒519-4563 三重県熊野市飛鳥町小阪150
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