• ふじいむつこ

【古本屋のリアル④】古本屋は本を捨てる仕事

更新日:6日前



兄の経営する古本屋の日常を妹が描く「古本屋のリアル」。第2回で古本屋の店主が日々こなす仕事の一端を見せていただいた。第4回はその続きとも言える、古本の仕入れや値付けといったより裏側の仕事を描く。そしてそこには、本の最後を見届けるという重要な仕事も含まれていた。



本の最期とは?


 風薫る5月、兄に「これから本を引き取りに行くんだけど、一緒に行かない?」と誘われた。


 本連載の第1回でも書いたように古本屋の仕入れは大まかに2通りのルートがある。1つ目は、個人の不要になった本を買い取る、もしくは引き取る方法、2つ目は、古書組合という古本屋のための組合が開く市(交換会)で仕入れる方法である。


 今回のケースは前者になる。前者の場合、依頼主が店舗に不要な本を持ち込むこともあるが、あまりに大量な場合や依頼主が高齢で運ぶことが難しい場合などは、今回のように兄が車で依頼主の家に出向くことも多々ある。


 依頼主の家に着くと、兄は迷うことなく本棚から次々と本を抜き出し、自分の車に積み入れていった。私もずしりとした本を落とさないように運び出していく。指示のあった本をすべて出し切ると、兄は本棚や床を拭き、「よし」と小さく息を吐いた。


 すっきりした本棚は少し歪んでおり頼りなさげで、入れる絵を失くした額縁のようにも見える。2人で依頼主の元に行き、「では一応すべて引き取らせていただいたので」と終了の報告をする。「また出てきたら連絡するね」と言った依頼主の顔はほっとしているようだった。

 運び出したあと、車を店の前に止め、バックドアを開け回収した本を物色しながら店の中に運び入れていく。運び出したかと思ったら、今度は運び入れる……穴を掘って埋めているような、何だか途方もない作業をしているような気分になる。


 仕入れた本はその後、兄が1冊1冊状態を確認して値付けしていく。私も手伝ったことがあるのだが、この値付け作業というのが曲者だ。作業としては、兄が言った値段を私が鉛筆で見返しに書いていくという単純なものだが、何しろ量が多い。終わりの見えない作業に嫌気がさし、2人してお店で倒れ込んでしまったこともある。

 兄の値段をつけるスピードは早い。こちらが書き切る前にすでに次の次の本の値段を言っている。あまりに早いので適当に値段を言っているのではないかと疑ったこともある。「どうやって値段つけてるの?」と聞くと、本を見ればだいたいわかるのだという。


 やはり適当だと疑いが確信に変わりかけた瞬間、「まあ大学生のときから古本屋とかブックオフとかよく通ってたから、だいたい検討はつくのよ。わからないのはネットの値段見たりするけど高くつきすぎていたりするのもあるから、それは参考程度かな」なんて言うので、あながち「適当」ではないのかもしれない。いや語義通り言えば、「適当」なのかもしれないが。

 まだ車に本が残っている状態で兄は「よし、シェアハウスでダンボールとかたまっているゴミない?」と言った。一瞬言っている意味がわからず固まってしまう。どうやらこれからリサイクルセンターに行くらしい。


「え、これ、捨てちゃうの?」と残った本を見ながら私が言うと「いるのあったらあげるよ」と兄はさも何でもないことのように答えた。急いで私は残された本の背表紙に目を向ける。しかし、めぼしいと思えるのは1冊だけだった。その1冊だけ、被った埃を払って、自分の懐に納めた。


 リサイクルセンターについてからの兄の動きは軽やかだった。どこからともなく、台車を持ってきて次々と本を乗せ、指定の収集場所に持っていく。


 驚きだった。あんなに我が子のように本を大切にしている兄が本を捨てているのだ。「かわいい子には旅をさせよ」や「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」などというが、収集場所に連れていかれる本は旅に出るのでもはい上がってくるわけでもない。本としての役目を終えるのである。


「これ、こっちに置いてー」と言いながら、リサイクルセンターのスタッフの方が積まれた本の束を軽く蹴った。思わず本を持つ手に力が入る。私は言われた場所にそっと本を置いたが、それもすぐに奥の方へと投げ込まれた。せっせっと本を捨てる兄とうず高く積まれたたくさんの本の束を私は茫然と見つめることしかできなかった。

 すべての本を出しきり、やけにすっきりした顔の兄が「よし、帰るか」と車を発進させた。たまりかねた私は、「スタッフの人、本蹴ってたね」と思わず愚痴るように言ってしまう。兄は「そういうもんよ」と鼻歌混じりに返すのみだった。あまりに淡白な返事に拍子抜けしてしまう。


 断捨離という言葉が世間になじんで久しいが、それでも多くの人が本を捨てるという行為に抵抗があるはずだ。だからこそ、一度は必要ないと思った本もすぐ捨ててしまうのではなく、古本屋などで売ったり引き取ってもらったりする。そういう人たちがいるから古本屋という商売も成り立っているのだろう。


 最近の兄の店では、販売店舗で売れ残り、返本になってしまった本を出版社から自由価格本(バーゲンブック)として仕入れ販売している。自由価格本は新本でありながら定価より安く販売できるようになっている。返本になった本はすべてではないがおおかた処分されてしまうので、自由価格本は返本された本の最後の活路なのだ。そして、そういった本を取り扱う古本屋は本の最後の砦である。

 そんな最後の砦もずっと本を置きっぱなしにはできない。すべての本を残していたら兄のような小さな古本屋はすぐに本に埋もれてしまうだろう。砦のキャパにも限界はある。あまりに状態の悪いものやずっと売れずに残ってしまっているものはどうしても処分するしかないのである。


 本を愛する兄が本を捨てている。矛盾しているようにも思うが、本の最期をきちんと見届けることこそ、本への最大の敬意なのだ。


 だから私が「本を大切にしてるくせに本を捨てるなんて!」と兄を批判することはできない。私だってさっき兄に「いるのあったらあげるよ」と言われたのに、結局自分の懐にしまったのは1冊のみだ。その瞬間だけ私は小さな取捨選択をしたが、古本屋はつねにその選択に迫られている。


 すべて終え車を降りた兄が、また「よし」とつぶやく。何か一つずつの工程を終えるたびにつぶやくそれは、もしかしたら兄なりの踏ん切りのようなものなのかもしれない。兄は古本屋としての仕事をまっとうしている。本を蹴ったと私が憤ったあのスタッフの方も彼は彼なりの仕事を全うしているのだろう。


「飯、食いに行くか」。兄の提案に二つ返事で答えた。食べるために本を仕入れ、売り、食べるために本を捨てるのだ。


 このとき、私がもらった本は箱入りで、実は外見と中身は別物だった。だが、今も大切にそばに置いている。

ふじいむつこ

1995年生まれ。広島県出身。物心ついた頃からぶたの絵を描く。2020年に都落ちして尾道に移住。現在はカフェでアルバイトしながら、兄の古本屋・弐拾dBを舞台に4コマ漫画を描いている。

Twitter@mtk_buta

Instagram@piggy_mtk

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