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執筆者の写真Byakuya Biz Books

創業150年の老舗焼酎蔵が造る芋焼酎「白金乃露」が問う、酒文化を後世に伝えるために必要なこと

更新日:2021年8月20日



鹿児島県で造られる芋焼酎、とくに「薩摩焼酎」は今や世界的にも認められたトップブランドである。その特徴は、鹿児島県産のサツマイモと水を使用し、伝統的な単式蒸留という方法で造られていることだ。なかでも、白金酒造(株)が造る本格芋焼酎「白金乃露」は、大正元年の発売以来、同社の代表銘柄として多くの人に愛されてきた。一方で、国内の市場環境は冷え込み気味だ。本格焼酎(単式蒸留焼酎)の消費量は、平成19年をピークにゆるやかに減少している(国税庁「国のしおり」)。日本酒や焼酎の市場縮小が叫ばれるなか、同社の竹之内雄作会長は「焼酎は工業製品化し、価格ありきに成り下がった」と現状を嘆く。「白金乃露」が継承する伝統をひもときながら、焼酎が直面している問題と未来を考えてみよう。



原料と造りへのこだわりが生んだ「白金乃露」


芋焼酎は鹿児島県を代表するお酒です。サツマイモが正式に薩摩に伝来したのは1698年、種子島島主の種子島久基に琉球国から献上され、栽培されたのがはじまり。焼酎にかんしていえば、古い歴史をもっているのは米焼酎ですが、米ができない薩摩にとって願ったりかなったりの作物でした。


鹿児島県は九州南部に数多く分布する火山噴出物からなるシラス台地で、作物が育たない不毛の地です。サツマイモは、そんな痩せ地でも生育できる救荒作物なのです。


庶民が普遍的に芋焼酎を製造するようになったのは1750年ごろではないでしょうか。薩摩の庶民階級は米焼酎なんて飲めませんでした。遠い存在だった焼酎が身近な芋を使う芋焼酎という形で庶民の暮らしに根づくようになったのです。芋は収穫したら貯蔵ができず、すぐに加工品にしないといけません。その一つに、焼酎を選んだというわけです。


白金酒造は、創業明治2年(1869年)。鹿児島で最も古い焼酎蔵です。初代・川田和助氏が「川田醸造店」として事業を興してはじまりました。西郷隆盛も蔵を訪れ、西南戦争の際には蔵の焼酎をすべて買い上げたという逸話も残っています。大正元年(1912年)、「白金乃露」を発売すると、昭和30年ごろまで焼酎の代名詞となるほど人気を獲得し、鹿児島市の歓楽街・天文館では「白金乃露のある店は繁盛する」とまで言われたほどです。


創業当時から残る石造りの蔵「石蔵」。石造りの蔵は外気の影響を受けにくいので、一年を通じて、温度・湿度の変化が少なく、焼酎造りには適した環境


芋の本当の味、香りを引き出したものが造れるのは、少ない蔵元です。芋の雑味(泥やヘタ、腐った臭い)がないのです。それは原料へのこだわり、造りへのこだわりがあるからです。


芋焼酎の原料は一般的に、サツマイモと米麹を使います。うちの石蔵では今でも甕(かめ)で、寝ずの番をして麹、酵母を管理して、鹿児島県産の新鮮なサツマイモを洗い、泥を落とし、人の手によってヘタを切り、ピカピカの状態にする。そして、単式蒸留という、原料の風味を色濃く出す昔ながらの製法を経て、芋焼酎ができあがる。小さな造りなのでガスがよく抜けるのか、蒸留仕立てでもおいしく飲めるのです。小さい蔵でなければできないことだと思います。


甕の中に水、米麹、酵母を仕込んで酵母を増やす



利は元にあり


良い芋焼酎というのは、お湯割りで飲んだとき、石焼芋をポンッと割ったときの香りが引き立ちます。上品な甘みがあるのです。それを造るのが我々の技術であり、その前提となるのが原料です。


良い原料を厳選して仕込まなければ、良い焼酎はできません。つまり、良い芋を自分たちできれいに手入れしないといけないということです。泥をしっかり洗い落とす。芋はすぐ腐るから、腐った部分をちゃんと取り除く。手間も経費もかかりますが、やるかやらないかが勝負なのです。


人手をかけ、ていねいに処理されたぴかぴかの「磨き芋」。手間のかかる作業だが、おいしい焼酎を造るための大事な工程の一つ


鹿児島県内には「どんな芋でもいいので、毎日500トン入れましょう」という大手の会社もあります。うちはピークで1日20トン。シルバーの方々が22名来て、芋を処理します。一方、大手は500人を雇っているかというと、10~20人しかいません。ナタみたいなものでどんどん処理していく。泥はついていようが関係ないんです。


また、うちは芋にものすごくこだわっているから、質の悪いものは決して仕入れないし、良いものは高い金額で仕入れています。県内で一番、厳しいと思います。農家も「あそこはやかましいけども、高く買ってくれる。だから、良いものを持っていこう」という意識になる。


「契約栽培」の考え方とはまったくの逆です。契約栽培は一見、良いことのように思えますが、現実を直視していません。必ず仕入れてくれるということは、単価が決まるということです。そうなると、誰だって増産するようになる。10を売るよりも12を売ろうとするのです。


農業においても、競争原理はしっかり働かないといけません。今年は一生懸命努力したけど、良いものができなかった。そういう場合はそれなりの価格でしか売れない。そのなかで、反省して来年に生かすといった試行錯誤をくり返して技術革新していく。


「利は元にあり」という格言がありますが、良い品を適性な値で仕入れることからはじまるのです。製造業も卸業もそれを心得とし、大切にしてきました。


ところが、焼酎は平成15年ごろの焼酎ブームをきっかけに、供給優先で工業製品化してきました。価格ありきに成り下がってしまったのです。今の酒類市場は乙類や甲類の垣根を超え、缶チューハイなどが主流です。芋焼酎はその状況に埋没してしまっている。芋焼酎も炭酸を入れて飲めば、若い人から見ればチューハイです。もはや本格焼酎ではありません。


ていねいに芋の泥を取ったり皮をむいたり、きちっと昔の伝統にのっとって造れば、1月か2月に出てくる新酒は、少しくらい臭いはあるけれど、燗をつければ、きれいな甘みが出てくるものです。昔のような味わいが出ないということは原料の処理や造り方、蒸留の仕方がどこか違ってきているということ。確立したものが伝統としてあるのに、それを業界がみずから放棄しているように思えてなりません。


芋焼酎を楽しむには、一人なら黒ぢょか、3人ぐらいなら鉄瓶、冠婚葬祭など大勢なら羽釜での燗つけがおすすめ


鹿児島県は毎年2月に焼酎のイベントを開催しますが、そこで利き酒をやります。芋、麦、米、黒糖など、どの原料で造られたかを当てるわけです。しかし、原料へのこだわり、造りへのこだわりがあれば、ほかの焼酎と区別できないような芋焼酎は造られないはずです。



日本酒と同じ道をたどる焼酎


日本は焼酎にかぎらず、アルコールに対する文化性がどんどんなくなっているように思います。ドイツにはビール造りの伝統があり、ビールを誇りに思う精神性が今に引き継がれています。ビールを中心とした集落ごとの祭りなどもあって、ビールが地域の人をつないでいる。そのあたりはフランスのワインも同じでしょう。法律による規制といった国の姿勢、そこに住む人々が自国の酒を守っていこうと一つになっている。


昔は日本酒もそうだったはずです。日本酒では各集落で酒が細分化され、地元の酒文化が育まれてきました。固有の味があって、全国どこも同じということはありませんでした。お酒ができればみんなで祝い、飲んで、集落の酒をおらが村の酒はうまいだろうと自慢もしていた。酒をとおして文化性を高めていたのです。


団塊の世代が引っ張るようにして日本酒が多く飲まれるようになり、蔵元は数十万石(注:「石」という単位は1.8リットル瓶換算で100本のこと)を造る巨大メーカーになっていきました。そして、社会環境の変化にともなったという面もありますが、次第に粗製乱造するようになった。その結果、繊細な感覚で先祖が育んでくれた酒文化が廃れ、かろうじて細々と生き残った蔵元によって、文化が繋がれているのが今じゃないでしょうか。


焼酎も同様の道をたどっているように思います。ブームをきっかけに巨大メーカーが生まれ、市場は大きくなったものの、巨大メーカーが市場をごっそり取り合う寡占化が進んでいます。日本酒同様に文化をつないでいくことが非常に難しい局面に入って、さらに進行していきそうです。売り上げ拡大だけを追いかけて安売りに走ってしまっては、酒文化は後世に繋がらない。


鹿児島県内では焼酎メーカーが競争しながらも、とくにトップメーカーのリーダーシップで苦境に陥った小さな蔵元を支えてきた歴史がありますが、近年はそうしたこともなくなりました。全国的に芋焼酎の売れ行きは不振で、5年経てば業界がひっくり返るのではないかと危惧しています。


白金酒造(株)竹之内雄作会長



法定価格の必要性と、白金酒造がこれからできること


私は法定価格の設定が一つの答えだと思っています。今のオープン自由価格では、大手メーカーも生き残ることはできません。大手の販売が減るなかで、価格が決まっていれば、小さな蔵が生きていく希望になります。そうすることで地域の文化が守られていく。


原料の質を落としたり、製造コストを抑えるには限界があります。技術で安価良品を造るというのはまやかしです。自分さえ良ければいいというやり方では業界がなくなってしまうし、自らもなくなってしまう。


三和酒類の「いいちこ」は発売以来、少なくとも麦焼酎は40年安定してきました。いいちこが価格を曲げなかったからです。大きな会社の務めはいいちこが手本を見せています。自社にこだわりがあるなら、どのメーカーにも迷惑をかけない価格でバンと売るべきです。


焼酎ブームが終わったとはいえ、本格焼酎の出荷量は257万石(平成29年度)もあります。売れなかった昭和30年は17万石だったので、実に15倍以上にもなっているのです。1万石ずつ分けても257蔵もが生きていけます。市場が小さくなっても分け合う量を小さくすれば多くの蔵が生きていける。そう考えればやり方はあるし、悲観ばかりしたり、海外へ出なければダメだと追い詰められることもありません。


海外進出には時間がかかりますし、投資は経費に見合う利益が取れていないケースも多いと思います。国内市場の縮小をふまえれば否定はしませんが、まずは国内でなんとかしたい。とくに芋焼酎は日本、それも南九州で育まれてきました。その強みもあるはずです。


平成13年に国の登録有形文化財に指定された「石蔵」にて、「見て」「感じる」製造工程の見学や、歴史を学ぶことができる。これも白金酒造の取り組みの一つ


ごく一部を除き、商品説明をするような対面販売はもうないわけで、価格の話ばかりになりがちなのが現実です。原料のこだわり、造りのこだわり、「利は元にあり」を消費者の方々にどう伝えていくか、もう一度、原点に返った営業をしていこうと思っています。


居酒屋に行き、集会に行き、友達、親戚も通じて機会をつくり、「白金乃露」を飲んでいただく。飲食店と距離が近い流通を含め、急がば回れでもう一度、強い結びつきができるような関係もつくっていきたいですね。


 

白金酒造株式会社

鹿児島県姶良市脇元1933番地

TEL:0995-65-2103

 

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