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セガの名機 メガドライブの軌跡② テトリス発売中止と、海外進出の背景


『ファンタシースターⅡ 還らざる時の終わりに』

©SEGA


第2弾タイトルも発表され、ますます盛り上がりを見せる「メガドライブミニ2」の発売を記念した本連載。セガの奥成洋輔さんが、メガドライブの歴史をふり返ります。第2回は1989~1990年。『ファンタシースターⅡ』をはじめとした名作誕生の裏側で、『テトリス』という大ヒット間違いなしのタイトルが発売中止に……今回も情報量多めでお届けします。



メガドライブ最初の大型タイトル『ファンタシースターⅡ』


 やがて世界を席巻することになるメガドライブだが、1988年は日本で静かなスタートを切った。

 当時としては最高峰の、先進性のあるハードスペックが話題となった半面、同時発売ゲームはジャンルの偏りがあったり、短期開発のためかボリューム不足なところもあり、前世代のセガハード「セガ・マークⅢ」「マスターシステム」から従来のファンが乗り換えたくらいの雰囲気だった。


 新ハードの旅立ちとしては順風満帆とは言いがたいこのメガドライブの発売を、最も警戒していたのは実は任天堂だったのかもしれない。メガドライブ発売直後の11月、任天堂の次世代ハード「スーパーファミコン」のメディア向けの説明会が開催された。そこでは、発売予定時期を9カ月後の1989年7月と公表したものの、公開したのは実機ではなく本体の試作見本で、報道陣の前で動いているものを見せることはしなかった。


 また配布されたビデオでは開発中の映像を見ることができたが、内容も技術デモが中心だった。同時発売は『スーパーマリオブラザーズ4』や『ゼルダの伝説3』ということだったが、この2タイトルの片鱗はビデオの中にはなく、実際に発売されたのが2年後の1990年11月だったことからも、この発表は年末商戦を前にメガドライブやPCエンジンへの乗り換えをけん制したものだったことがうかがえる。


 そんな、注目度が高いのか低いのかわからないポジションのメガドライブの、最初の大型タイトルだと評判だったのが、通算6本目のタイトルにして初のRPG『ファンタシースターⅡ 還らざる時の終わりに』だ。発売は1989年3月で、すでに本体発売から5カ月が経過していた。


 現在はオンラインゲームとして知られる「ファンタシースター」シリーズの歴史は、1987年12月にセガ・マークⅢ/マスターシステム用ソフトとして発売されたところから始まった。これは、ファミコン向けとして1986年5月に発売された『ドラゴンクエスト』と、その8カ月後の1987年1月に発売された『ドラゴンクエストⅡ』によって、日本の家庭用ゲーム機にRPGというジャンルが確立したことが影響している。


 セガ初のオリジナルRPGとなった初代『ファンタシースター』は、『ドラクエⅡ』の影響下に作られたことは間違いないが、わずかに11カ月後の発売である(余談だが、初代『ファイナルファンタジー』がファミコンで発売されたのも同じ12月の”同期”である)。初代『ファンタシースター』は、ファンタジー世界をモチーフとしたドラクエに対し、ファンタジー世界に加えSF的な設定をブレンドしたことにより、おもしろければ何でもありという独自の世界観を構築したことや、当時としてはダイナミックにアニメーションする戦闘シーンなど、見た目ですぐに違いのわかる独自の要素もあって高評価を受け、すぐに続編の開発が始まった。


 対応プラットフォームは、開発直後にマークⅢ向けからメガドライブへと変更になったが、メインプログラマとしてすでにローンチに『スーパーサンダーブレード』をリリースしたばかりの中裕司氏が(前作に続き)担当していたことからも、開発は1作目以上に短期で、半年ほどだったという。


 前作でシナリオを担当した青木千恵子氏がゲームデザインも担当し、世界観はファンタジー要素が減りSF寄りへとスライド、物語も少しハードなものになっている。

 なお本作はパッケージイラストに、人気イラストレーターの米田仁士氏を起用したことでも話題となった。これはメガドライブのパッケージが、親しみやすさはあるが比較的子供向けだったマークⅢソフトのテイストから、ハードケースになってイラストも高級感ある路線へと転換させていく上での起用であった。メガドライブのパッケージイラストは、当時ハヤカワなどのSF小説の表紙を描いていたイラストレーターたちへと発注しており、この方針が、『ファンタシースターⅡ』の世界観づくりにも影響を与えたのかもしれない。


『ファンタシースターⅡ 還らざる時の終わりに』

©SEGA


 その一方で、ゲーム内に登場するキャラクターデザインを、入社したばかりの新人2人に任せるという大抜擢をしている。ユーシスやネイなど主人公たちメインキャラクターをデザインした吉田徹氏は、その後『サクラ大戦』のメインデザイナーとなり、街の店員などサブキャラクターをデザインした山口恭史氏はその後『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』のメインデザイナーとして、相棒のマイルス“テイルス”パウアーを生み出すなど、2人はその後のセガを支えるデザイナーとなった。


 ここまでの5タイトルは、ハードウェアの開発途中から作り始めたこともあっておぼつかなかったが、ボリュームも内容も申し分ない『ファンタシースターⅡ』は、ようやく新ハードらしさを初めて実感できる新作となっていた。



メガドラ人気に火をつけるはずだった『テトリス』の発売中止


 続く4月にも大型タイトルが控えていた。何といってもアーケードで大ヒット中のパズルゲームのスピード移植『テトリス』が発売され、メガドライブの人気はここで跳ね上がる……はずだったが、諸般の事情で本ソフトは発売中止となり、とうとう最後まで発売されることはなかった。


 元々海外ソフトであった『テトリス』は、国内でもPC向けに多数のハードでリリースされ、前年12月に出たファミコン版も人気を博していたが、こと日本ではセガが1988年12月に発売したアーケード版が、当時ダントツで高い評価を受けていて、『スペースインベーダー』以来の社会現象となっていた。


 このセガ版の特徴は、オリジナル版の操作システムを一新し、ボタンはテトリミノの回転のみとし、レバー下でテトリミノを落とすという操作変更を行ったことだ。この変更は『テトリス』というゲームをより直感的でわかりやすくし、またステージクリア方式を止めたことで延々とプレイし続けることができる独特の魅力も持っていた。


 結果としてこの優秀な操作システムはメガドライブではなく、同じく4月に初登場した携帯ゲーム機・任天堂ゲームボーイ版『テトリス』に採用され、6月のソフト発売以来、日本どころか全世界で大ヒット。ゲームボーイのハード普及に多大な貢献をした。また任天堂は11月にはNES(海外版ファミコン)版を北米向けに発売。こちらも記録的な大ヒットを遂げた。


 日本のメガドライブがその後も大きな成功を収められなかった最初の分岐点を、ここで『テトリス』が発売できなかったことだとする歴史研究家も多いが、とにかく歴史はメガドライブ版の発売を許さなかった。中止の決定は発売日直前だったため、ソフトは完成どころか倉庫で出荷準備中という状況。このとき製造済みのパッケージはもちろんすべて廃棄されたという。インターネットもない時代のファンは、そんなことも知らず、発売日当日にソフトを買い求めて、あちこちの店を回った。


 しかしメガドライブの4月は、まだ2本も新タイトルの発売予定があった。定番のアクション野球『スーパーリーグ』と、PC用シミュレーションゲームのメガドライブ向けリメイク『スーパー大戦略』だ。


 この『スーパー大戦略』、タイトルこそ8bit向け簡易バージョンの名を冠していたが、実際は16bitパソコンPC-9801用『大戦略Ⅱ』をベースとした移植になっており、当時最高峰のシミュレーションゲームの発売であった。「パソコンの上位機種でしか遊べなかった高度なゲームが遊べる」ことで、メガドライブというハードウェアの性能の高さを実感できた。


 そして6月、ついにあの『サンダーフォースⅡMD』が発売される。メガドライブで初めての、セガ以外が開発を行ったライセンス(サードパーティー)タイトルで、当時花形のジャンルだった横スクロールシューティングゲームだ。


『サンダーフォースⅡMD』

©SEGA


 元々前年にシャープの16bitパソコン「X68000」向けに発売したタイトルで、これまでもPC向けのゲームを開発してきた発売元のテクノソフトともども、ゲームセンターや家庭用のゲームしか知らないファンからすればまったく無名のゲームであったが、ゲーム雑誌やクチコミでその評判はまたたく間に広まった。


 ビジュアル、サウンド、スピード、すべてが従来の家庭用ゲームとしても最高峰で、本来セガが最初に出したかった新作アーケードゲームのような完成度は、ファン以上にセガ社内にも大きな衝撃を与えた。セガのハード開発のトップだった佐藤秀樹氏も、当時を語るたびにこのゲームのことに触れているほどだ。


 アーケードの16bit基板「システム16」との親和性を重視したつくりのメガドライブであるのに、アーケードゲームの開発経験のあるプログラマがいなかったため、あり余る性能をなかなか使いこなせずにいたところへ、X68000という同じ16bit CPUを持ったパソコンでの経験者によってつくられた『サンダーフォースⅡMD』は、当時のセガの家庭用ゲームの開発部門を技術力で完全に上回っていたのだ。本作は人気ジャンルだったこともあって成功を収め、開発・発売元のテクノソフトは、これまで長く続けてきたPC向けのソフト開発を中止し、すべてをメガドライブへとシフトする英断を下した。



『大魔界村』を皮切りにヒット作が続々生まれる


 とはいえセガ自身も負けてはいなかった。2カ月後の8月には、またしても中裕司氏プログラムによる(すでにメガドライブで3作目だ!)『大魔界村』が発売された。


 本作は昨年12月にカプコンがアーケード向けに発売した大ヒットタイトルの移植版である。カプコンが満を持してリリースした、アーケード向け16bitシステム基板「CPシステム」の第2弾として発売されたものであり、大ヒット作『魔界村』の続編として、誰もが知るゲームであった。


 このゲームが、発売直前の10月の業界向けイベント(第26回アミューズメントマシンショー)に出展されたのを見た中裕司氏が一目惚れし、上司に頼んで移植を実現したのだ。カプコンはこの人気シリーズ最新作の移植をセガに許可しただけでなく、虎の子であるソースデータまで提供したという。当時おそらく最も横スクロールアクションの開発力を持っていたカプコンの全面的な協力と、セガの家庭用部門で最も技術力を持つプログラマによって、アーケード版とまったくプレイ感覚の変わらない、きわめて忠実な移植が実現した。


 メガドライブのアーケード移植タイトルはここまで『獣王記』のみだったが、遊んだ印象は若干異なるものになっていた。本当の意味での「アーケードの忠実な移植」は本作が初めてである。


『大魔界村』は発売から9カ月経ったこの夏もゲームセンターで現役稼働中だったため、メガドライブユーザーは「家庭で練習して、ゲームセンターでその腕を披露する」ということができた。


 かつてファミコンやマークⅢでも人気タイトルであった、アーケードゲームの移植タイトルは、ハードスペックに大きな差があったため、実際のところ多くは見た目も操作感覚もほとんど別物だった。なので「アーケードそのままのプレイ感覚」というのは、当時の家庭用ゲームの夢である。


 それを家庭用ゲーム機で初めてやってのけたのがメガドライブに先んじて発売したPCエンジンで、『ビックリマンワールド』(『ワンダーボーイ モンスターランド』の移植)や『R-TYPE』(Ⅰ・Ⅱ)などがあったが、これらのタイトルは、いずれもゲームセンターでの稼働から1年以上経った「昔」のゲームだった。よくて1年、人気がなければ1カ月もすると消えていく、最新ゲームのるつぼであるゲームセンターに通うゲームファンにとっては、どちらかというとこれらの移植は、ゲームセンターに行けない人のためのものか、あるいは過去の名作を思い出として残すものであった。メガドライブ版『大魔界村』のように1年以内に出たばかりのゲームが家庭用に移植されたのは、極めて異例のことだった。


 メガドライブ版『大魔界村』はアーケード版の人気をそのまま引き継ぎ、家庭用でも大ヒットを遂げる。セガはその後もカプコンのタイトルを多数ライセンスしてもらい、『ストライダー飛竜』『フォゴットンワールズ』(『ロストワールド』の移植)『戦場の狼Ⅱ』『ファイナルファイトCD』などが続々と登場した。しかし人気と移植スピードではこの『大魔界村』が最もインパクトあるものとなった。


 そしてハード発売から1年経った1989年末。ようやくどのゲームもメガドライブの機能を生かしたソフトが準備できるようになった。この年末商戦は、前世代機からセガを応援してきたファンにとって忘れられない、強力なラインナップとなった。


 12月1週目は人気アーケードタイトルの続編『ザ・スーパー忍』が発売。続編といっても、ちょっとコミカルな雰囲気の前作と違って、リアルに寄せたグラフィックは歓迎された。この大きな変更を進めた企画の大場規勝氏は初のメガドライブタイトルだったが、次作『ベア・ナックル』でさらなるヒットを飛ばす。また日本ファルコムのアルバイトから、フリーの音楽家へと転身したばかりの古代祐三氏が、初めてセガタイトルに参加した記念すべきタイトルでもある。本作はアーケード版を越えるヒットとなり、その後のシリーズ化への足掛かりとなった。(ちなみに本作も前作アーケード版の移植版が、同じ月にPCエンジン向けとしてアスミックから発売されている)


『ザ・スーパー忍』

©SEGA


 2週目は『タツジン』。前年の10月に発表された、東亜プラン作品でも最大ともいえるアーケードの大ヒットシューティングゲームを、オリジナル版を手掛けた東亜プラン自身によって移植したものだ(発売はセガ)。東亜プラン開発のシューティングゲームは長らくアーケードでも定番タイトルであったが、家庭用ハードでは同年3月にタイトーから発売されたPCエンジン版『究極タイガー』が大ヒットしており、その続編ともいうべき本作がいち早くメガドライブに移植されたことも話題となった。


 3週目は『ヴァーミリオン』だ。『アフターバーナーⅡ』や『アウトラン』などアーケードのヒット作を多数手がけたセガのアーケード開発専門部署の一つ「AM2研」が、特別にメガドライブ向けとして手掛けたオリジナルRPGということで、大きな期待を持ってリリースされた。実際に遊んでみると、かなりクセのあるシナリオとシンプルなゲームシステムにとまどうところもあるが、美しいグラフィックと、同じハードウェアから奏でられているとは思えないほど重厚な音楽が話題となった。


『ヴァーミリオン』

©SEGA


 そして4週目が『ゴールデンアックス』。アーケードで5月にリリースされてヒット中のゲームのタイムリーな移植である。ハードの制約で当時はまだ多くなかった2人同時プレイの楽しさが存分に発揮されたタイトルとなった。追加されたステージやDUELモードも好評で、このあともメガドライブを代表するアクションゲームである。


『ゴールデンアックス』

©SEGA


 そのほかにも10月にはサードパーティーとしてアスミックが参入し『スーパーハイドライド』を発売、12月には再びテクノソフトが『ヘルツォーク ツヴァイ』で、初のメガドライブオリジナルのゲームをリリース。マイクロネットも『カース』で参入する。決して「有名」「大手」とはいえないメーカーたちだったが、彼らがメガドライブ市場に参戦したことで、メガドライブはセガのゲーム以外が遊べるという選択肢を広げてくれたのは間違いない。


 こうして日本のメガドライブは発売から1年後、ようやくそのポテンシャルを発揮し始めた。


1989年の東京おもちゃショーのセガブース。サードパーティーのタイトルがずらりと並ぶ

(画像提供:セガ)



北米、欧州市場に打って出るも……?


 さらにこの1989年には、メガドライブは北米市場で「GENESIS」という名前に変更して発売された。セガは以前よりマークⅢの海外向け「MASTER SYSTEM」で北米市場にチャレンジしていたのだが、期待したほどの成果が得られなかったため、そのリベンジ戦である。当時の北米は日本と同様NES(ファミコン)の一強、あるいは日本発売直後の7月に発売されたゲームボーイも歓迎されていて2TOPだった。ただしセガの本当のライバルは、未だ姿を見せぬ次世代機「スーパーファミコン」である。登場前に発売して、少しでも市場を確保しておきたかったのだ。


 GENESISは1989年夏に発売されたあとも、翌1990年には『スーパーモナコGP』『マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー』『アイラブミッキーマウス ふしぎのお城大冒険』、さらにEAの『ジョン・マッデン フットボール』などといった人気ジャンルや有名キャラクターによるビッグタイトルをリリース。1990年には欧州市場にもMEGA DRIVEの名で発売され、少しずつ市場を広げるが、このときもまだNESの圧倒的な牙城を崩すには至っていなかった。


「GENESIS」

©SEGA


 これはもちろん日本でも同じで、1990年はむしろ存在感が薄まっていた。当時の代表的な作品を挙げるとやはりファミコンのタイトルが豊作だ。2月に『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』、4月に『ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣』と『ファイナルファンタジーⅢ』が続けざまに出て、スーパーファミコン前の市場を華々しく輝かせた。そして11月には発表から2年経ってようやくスーパーファミコンが登場。同時発売された『スーパーマリオワールド』と『F-ZERO』はもちろん、『ポピュラス』『アクトレイザー』『パイロットウイングス』『グラディウスⅢ』に『ファイナルファイト』と、これでもかと人気タイトルが登場した。


 スーパーファミコンは後発だけに、メガドライブを上回るカラフルなグラフィックと、サンプリングを可能にするPCM音源、またBG面の回転拡大縮小機能はわかりやすいビジュアルの進化とされ、多くのゲームのタイトル画面で多用された。スーパーファミコンは発売以来またたく間に普及し、ファミコンの市場をそのまま受け継いでいく。


 それから、メガドライブに先駆けて発売されたPCエンジンも、89年12月の『イースⅠ・Ⅱ』が大ヒット。90年は3月に『スーパーダライアス』が人気を呼ぶなど、CD-ROM2向けのタイトルでの成功作が数を増やしつつあった。その一方で、90年8月の『ワルキューレの伝説』などをはじめとしたナムコの人気アーケードタイトルの移植、そしてファミコン初期のヒット作のリメイク版『ボンバーマン』(1990年12月)による5人同時パーティプレイの提案など、本体のみで遊べるHuカードタイトルでも成功を収めた。


 唯一迷走したと言えるのが、表示能力をアップさせた上位互換機「PCエンジンスーパーグラフィックス」だ。1989年12月に発売されたものの、3万9800円と通常の本体の倍の価格は敬遠され、専用ソフトはわずか5本という、日本の国内ゲーム機の中でも最も残念な結果を残して去っていった。


 最後に国内メガドライブの1990年はというと、89年からの海外展開に期待されてか、タイトー、ナムコ、サンソフト、メサイヤ、ウルフチーム(日本テレネット)など名だたるメーカーが次々と参入。前世代機のマークⅢ/マスターシステムの国内参入メーカーがサリオ(テクモ)1社だったことから考えると、かなりのにぎわいとなっていたが、実際のところ日本市場では、ファミコンの数分の一ほどの市場と思われるPCエンジンの、さらに半分くらいだったと思われる。前世代機から考えると躍進はしていたものの、サードパーティーにとっては「今後に期待」というところであっただろう。


 セガは、ポスト『テトリス』を狙って作った『コラムス』の成功と、続く1990年秋にその『コラムス』を引っ提げて対ゲームボーイ向けの携帯ゲーム機「ゲームギア」を発売したりしている。


 徐々にではあるがユーザーを増やしつつあったメガドライブは、スーパーファミコン改め「SNES」の1991年夏頃とされた海外進出タイミングにターゲットを絞り、ポストマリオとなる新作ゲーム『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』の開発を着々と続けていたのであった。

 

奥成洋輔(おくなり・ようすけ)

1971年生まれ。1994年に株式会社セガ・エンタープライゼス(現・セガ)入社。2000年DC『エターナルアルカディア』でアシスタントプロデューサーを担当、2004年にPS2『サクラ大戦V EPISODE 0 ~荒野のサムライ娘~』を初プロデュース。2005年以降旧作の復刻を数多く手掛ける。最新作は『メガドライブミニ2』。その他主な作品にニンテンドー3DS「セガ3D復刻プロジェクト」シリーズ、『メガドライブミニ』(初代)『ゲームギアミクロ』など。

 

メガドライブミニ2 公式サイト

https://sega.jp/mdmini2/