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  • 執筆者の写真ふじいむつこ

尾道日々是好日(9) ゲストハウス「あなごのねどこ」で働くムーさんの話



マンガ家、ふじいむつこさんが尾道に暮らす人々を描く「尾道日々是好日」。第9回はゲストハウスで宿直業務をこなす「ムーさん」というスタッフ。大学卒業後、ニートやボランティアスタッフなどを経てたどり着いた尾道。ちょっと不思議な魅力を持つ彼が見る尾道とは?



ゲストハウスで働くちょっと不思議な人


 尾道にはゲストハウスが多く存在する。ゲストハウスはいろんな形態があるが、おおむねキッチンやトイレ、お風呂が共用で、部屋は相部屋(ドミトリー)になっている。ホテルよりも安価に泊まることができるため、若者や長期で利用する人に人気がある。また宿泊者同士、スタッフとの距離感が近く、一緒に観光に出かけるなどゲストハウスならではの交流が生まれることもしばしばだ。


「あなごのねどこ」もそんなゲストハウスの一つである。



 あなごのねどこは尾道の商店街にあった明治時代の町屋を再生したゲストハウスだ。細長い京町家のような建物で、併設されるあくびカフェーを右手に見ながら廊下を真っ直ぐ進むとやっと入口が見えてくる。


 元々の建物のレトロさと、タイルや2段ベッドなどのデザインにユーモアが光る。私も尾道に移住する前に宿泊したことがあるが、親戚の家に来たような何とも言えない安心感と秘密基地のようなワクワク感を覚えたものである。



 私のバイト先であるあくびカフェー(本連載第3回で紹介)に併設されており、運営母体も一緒のため、荷物の預かりをカフェ側で行ったり、カフェ内の掃除をしてもらったりと何かと関わりがある。


 そんなあなごのねどこで週5日、宿直業務をこなす強者がいる。中村明、通称ムーさんである。ムーさんはいつも動いている。それもせわしなく動いている。そうかと思ったら、私とスタッフのおしゃべりを聞いていて笑い声を上げるときもある。週1回ぐらいのペースであくびカフェーで食事をしてくれて、いつもランチからデザートまで注文してくれる。繁忙期には並んでまで食事をしてくれたこともあった。少しつかみどころがなくて少し不思議、そして何だかすごく気になる人という印象だった。



ニートからゲストハウスのヘルパーへ


 ムーさんは栃木県宇都宮市出身だ。大学進学を機に京都に引っ越し、大学では文学部で中世日本史を専攻し、大学院修士課程まで進学する。しかし、何とか論文は形にしたものの、その過程で精神の調子を崩していく。もともとは研究者になりたいと考えていたが、終わりの見えない作業、体系的に行うのが当然の研究の世界に窮屈さを覚えた。なにより論文を書き続けていくことへ喜びを感じなくなっていた。そのまま博士課程には進まず、本人曰く、「ニート生活に突入」した。


 ニートになったのは、自分の経歴や能力に自信がなかったこと、また働く職場が実際どういう雰囲気なのかわからず、就職活動というシステムもあまり理解できなかったため、行動に起こすことができなかったからだという。しかし、ずっとひとり家でごろごろ過ごす生活も性に合わなかった。


 そんなニート生活を脱するきっかけとなったのは、2013年の瀬戸内国際芸術祭への参加だ。瀬戸内国際芸術祭は、3年に1度、瀬戸内海の12の島と2つの港を舞台に開催される現代アートの祭典である。


 ムーさんはボランティアスタッフとして高松に2週間ぐらい泊まりながら作品の受付やイベントの準備作業などを手伝った。滞在中の宿舎はゲストハウスのような仕組みで日本各地や海外からの人もいた。そこで働く中でぼんやりと「旅に関係する仕事がしたいかも」と考えるようになっていく。


 そして2014年、瀬戸内国際芸術祭のときのようなことができないかとネット検索したところ、ヒットしたのがあなごのねどこの「ヘルパー」である。「ヘルパー」というのは、あなごのねどこの清掃や朝食の手伝いをする代わりに無料であなごのねどこに長期滞在できる仕組みだ。ムーさんは2014年の冬と春、トータルで1カ月半ヘルパーをした。


 もともと尾道には旅行で何度か訪れていた。しかし、最初の頃は文化財、特に中世の建築を見て回ることに終始しており、食べものやその土地の名物などにはあまり興味がなかった。しかし訪れていく中で、尾道にあるカフェやパン屋が好きになっていったり、あくびカフェーにも立ち寄ったりして、徐々に街自体を散歩することが楽しくなってきたと言う。そしてあなごのねどこでヘルパーである。


 滞在中は、ほかにヘルパーはおらずムーさん1人だけだったが、当時のスタッフの方々にとてもよくしてもらったと言う。気づくと「気持ちのいい人たちが多い場所だなぁ」とずっと心に残る場所になっていった。


 その後、半年ほど鳥取や広島市内でも同じようにゲストハウスの手伝いをしていたところ、あなごのねどこからスタッフに空きが出たのでやってみないかと声がかかり、移住に踏み切る。




移住して8年、現在の暮らしについて……


 移住後はシェアハウスに4年ほど住んでいて、実は私の兄とも同居していた時期がある。そろそろ出たいなと思ったときに今住んでいる物件が見つかり、現在はひとり暮らしだ。


「だから僕は本当に偶然も重なって、うまく流れに乗ることができただけなんだよ」とムーさんは言う。そうは言っても2014年から8年間、週4〜5日あなごのねどこで働き、現在は別のゲストハウスの清掃の仕事もしている。


 仕事が嫌になったり、やめたくなったりしたことはないのかと尋ねると、「ないねぇ」と言い切る。幼い頃、人からからかわれることが多かったこともあり、人付き合いや人と話すことは得意ではない。だから黙々と作業をこなす宿直業務は性格的に自分に合っていると言う。


 しかし人付き合いが苦手とは言いつつ、今の仕事を続けられている1番の理由は一緒に働くスタッフが好きだからだ。カフェのスタッフが話す内容一つとっても、「今日息子がね……」「この間あそこの店でね……」と生活を感じることができる。大学生の頃、ひたすら研究と向き合っていた頃にはなかった感覚だ。血の通った会話は日常と生気にあふれている。


 またヘルパーさんの存在も欠かせないと言う。どうしても週5日働いていると職場が家のようになってしまうことがある。だらしなくなりそうになるところにある程度の緊張感を与えてくれるのがヘルパーさんだ。


 だから、「(自分が)ここのスタッフの役に立てていたらうれしい」と話す。そう語ることのできるムーさんはとてもやさしい。ヘルパーさんが来る日に台風が接近していたときには、事前に懐中電灯などを準備しにきてくれたり、カフェの大掃除のときには「大変かなと思って……」と手伝いに来てくれたこともある。



 移住して間もないころ、「ムーさん、文学部じゃったんじゃし、古本屋とか本屋とかしたら?」と声がかかったこともあった。しかし、お店を開くには至らず、実際に古本屋を開いたのは同居していた私の兄だった。


 当時は尾道に移住した人たちが、お店を開いたり、イベントをしたりする空気感がある中で、何もしていないことへの後ろめたさがあった。でも今は背伸びをせずに、ただ尾道で働いて生活するだけの「消費者」であってもよいのではないかと肯定的に捉えられるようにもなった。


 そんなムーさんも今、インスタグラムのライブ放送で建築やビール、声優など自分の好きなことについて語るラジオ放送を定期的に行なっている。新型コロナウイルスの影響で職場が3カ月休みとなり、人との交流が難しくなったときに「ため込まずにしゃべってみよう」と始めたのがきっかけだ。始めてみると、思っていた以上に聞いてくれる人が多く、今日まで続いている。


 ラジオ放送を生業としたいわけではなく、あくまで趣味の範囲内で、単に自分が感じたり考えたりしたことを記録して残したいという思いが強い。そのための方法を模索したら、インスタライブでの生配信という形が一番しっくりきたと言う。


 かつて研究者への道を断念したムーさんが、人ともやりたいことともうまく距離をとり、自分の心地よい範囲で今やりたいことを楽しんでいる。そんな姿が私にはまぶしく、うらやましくも思う。




ムーさんが思う尾道の魅力


 最後にムーさんに尾道の魅了を尋ねると、「景観」だと言う。特に尾道水道を挟んで向かいにある向島から見た尾道の斜面地の景観は圧巻だ。国宝や重要文化財の神社仏閣の中に近代の魅力的な公共建築もあるというコントラストが、斜面地のコンパクトな空間の中で豊かさを生んでいる。


 しかし現在、そういった近代の建築は解体されてしまうことが多々あり、それをムーさんは「穴ができてしまう」と残念に思っている。事実、まだ住むことができそうな物件や立派な建築が否応がなく取り壊されたり、建て替えられたりしている。


 ただ、ムーさんも取り壊しや建て替えに徹底的に反対というわけでもない。あくまでその中で生活し、仕事をする人達の快適さを優先すべきだと考える。さらに言えば、自分がそれらの物件を買って、改装するほどの力があるかと言われれば、すぐにうなずくことができない。構造上危険な物件やほぼ廃屋になっている物件も多い。


 しかしながら、歴史ある建物が反対があったにも関わらず、作り替えられてしまう現状は街として、どこかよくないほうへと変化しているように感じるとムーさんは言う。


 私も、すべてが昔のまま変わらなくていいとも思わないが、変わっていく風景に危機感を覚えていたほうがよいと思う。気づけば、古い建物はなくなり、画一的なコインパーキングが軒を連ね、昨日まで開いていたお店が突然閉店すると言うのはこの街に来てから何度もあった。


 そのたびに、がらんどうになった店内に、更地となった場所に、何もできなかった自分に胸が締め付けられる。変わらずにそこにあり続けると言うことは、お金も人も体力も気力もいることだ。私の日常はそう言ったものの上に成り立っていることを忘れてはならない。


 長い廊下からそっとカフェを覗く。ムーさんが見える。ヘルパーさんと静かに朝食をとっている。そんな日常に、変わらない光景に、ほっとする私がいる。


 

ふじいむつこ

1995年生まれ。広島県出身。物心ついた頃からぶたの絵を描く。2020年に都落ちして尾道に移住。現在はカフェでアルバイトしながら、兄の古本屋・弐拾dBを舞台に4コマ漫画を描いている。

Twitter@mtk_buta

Instagram@piggy_mtk


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