【校正・校閲の世界】あなたの文章から間違いをなくそう①

更新日:9月7日



文章の間違いを正すプロフェッショナル、鷗来堂の鶴岡眞屋子さんによる本連載。第2回と第3回は、あなたの文章から間違いをなくす方法を紹介。文章をなんとなく読み返しただけでは、間違いはなくならない。どんなことに気をつければよいのか教えていただこう。



一番良いのは他人に読んでもらうこと


 あなたの文章の間違いをなくすために一番良いのは、何といっても他人に読んでもらうことです。


 私はもともと趣味で文章を書いていて、それが高じて校閲を職業にしたのですが、書き手と校正者両方を経た実感として、「自分の文章を、自分で校閲することは不可能」だと思います。


 自分の文章を読む脳のなかには、その文章で伝えたかったことの言語化しきれないイメージを含んだ「答え」があらかじめ存在してしまっています。いわば先入観の塊なのです。あなたが「意味→言葉」の変換を行った書き手であるかぎり、純粋な読み手として「言葉→意味」の解釈をすることはできません。


 自分の文章を読んで手直しする行為はどこまでいっても「推敲(すいこう)」であり、客観的な視点での「校閲」とは根本的に違うものなのです。自分とは異なる考え方の他人に読んでもらうことで、誤解を招く部分や偏った見方なども浮き彫りになります。



文章を「読んで」はいけない?


 とはいっても、SNSの発信などすべての文章を他人に読んでもらうことは現実的に不可能ですし、「推敲」においても「校閲」の技術の応用で、間違いを減らす努力はできます。その技法をいくつか挙げてみます。


 よく「校正者は文章を『読んで』はいけない」と言われます。


 文章全体の意味内容に意識を取られたり、物語を追うことに没入してしまうと、思い込みや誤読でミスをしやすいので、「『よく』、カギカッコ起こし、『校正』、『者』、『は』、『文章』、『を』……」というように、文字や単語レベルに分解して言葉をひとつひとつ丹念に追うべし、という教えです。もっと厳密に見たいときは文字をさらに分解して、「木へんに交わる、もんがまえに点点に兄……」とパーツ単位で見ていく、という手法もあります。


 すごく合理的だと思う一方で、正直に言ってしまうと、私はこのやり方はあまり肌に合いません。赤字照合や突き合わせなどの「校正」作業ではパーツ分解法を使うこともあるものの、特に「校閲」作業においては、意味内容も含めて深く「読み」、深く没入すれば、誤った箇所はおのずから意識に引っ掛かってくる、と思っています。校閲に関する文章を読んでいると、「誤植が光って見える」とか「不自然な文字が浮き上がって感じる」という人をときどき目にしますが、私はどちらかというとそのような「感覚型」であるようです。


 もちろん、「読まない」ことで校閲の精度が上がる人も、たくさんいると思います。最終的には人それぞれ、合ったやり方が一番だと思いますので、ぜひいろいろと試してみてください。



何回か読む、距離を変えて読む、時間を置いて読む


 1回の素読みにできるかぎり時間をかけて、じっくりゆっくり文章を追っていくのも1つの手段ですが、私は「1回あたりの時間が多少短くなっても、2回通して読む」ことを心がけています。


 長い文章であればなおさら、読んでいるあいだ常に集中力を保つのは不可能で、「集中の波」の谷にあたる部分はどうしても出てきます。2回読み重ねることで、精度のムラをカバーできます。後半の内容を踏まえたうえでもう一度前半を読んでみて、新たに発見できる整合性の誤りなどもあるかもしれません。また、一度で全種類の誤りを拾おうとせず、1回目は整合性に気を付けて読む、2回目は文字の誤植に気を付けて読むなど、読み方のアプローチを変えてみるのも効果的です。


 私の場合、もう少し感覚的に、「文章との距離を変えて読む」と呼んでいます。1回目は全体を俯瞰するイメージで、少し目を離して輪郭をつかむように、あえて集中しすぎないように読みます。2回目はぐっと紙面に近寄り、並んでいる文字の形に意識を向けて、ていねいに追っていきます。心構えだけでなく実際に、物理的にもゲラとの距離を変えてみたりします。


 目に入る文字を物理的に制限すると集中して読める、という人は多いようです。前後の行を定規をあてて隠したり、文字を指でたどりながら読むことで簡単に実践できますし、私は使ったことがないのですが、「リーディングトラッカー」という読書補助用の文房具もあります。


 時間を置けば自然と視点も変わりますので、まったく別のことをやって気分転換してから読み直してみる、というのも非常に良いと思います。特に文章を書きあげた直後は、頭が「出力モード」になっているはずなので、あまり校閲(推敲)には適していません。


 私もSNSをやっていますが、「投稿ボタンを押して目を離した瞬間にふと誤字に気付く」というのは本当にあります。仕事帰りの電車の中でぼーっとしていて、「……いや、今日読んでいたゲラのあそこ、整合性がおかしいな」と唐突に思い当たることさえあります。文章にばかりかじりつくのは視野狭窄を招き、かえって校閲にはよくないのかもしれません。



誤用について考える


 慣用句などの誤用を防ぐには、やはりこまめに辞書を引いて、正しい意味を確認していくほかはないと思います。こればかりは、知識がないとどうしようもない面があります。


 ただ、前回すこし触れましたが、「漢字の意味」を意識してみると少し間違いが減るかもしれません。たとえば、「端整」と「端正」でどちらを使うか迷ったときは、「容姿が美しく【整】っていること」と「動作・姿勢などがきちんとしている(【正】しい)こと」と考えると区別がしやすいですね。


 少し話がそれますが、私は文章を書くのも好きだった、と書きました。正直に告白すると、校正者となって勉強するまでは「おもむろ」や「憮然」などの(誤用のほうの)表現が大好きで、使い慣れていた誤用表現の真実を知るたびに、自分の言語が制限されていくような息苦しさを感じたものです。個人的には、ライトノベルなどにみられる「辞書通りの意味ではないけれどなんとなくわかる」新しい言葉づかいも、コトバの可能性を感じられて好きだったりします。


 言いつくされていることですが、言葉の意味は時代によって変わっていくものですし、誤用とされていた用法が辞書に採用され、新しい意味として受け入れられることもあります。先ほどの「端整/端正」も、辞書によっては「どちらを使ってもよい」とされています。「間違い」と言い切れる表現というものは、実はそれほどないような気もします。


 そういうことを忘れずに、校正者としてもいち読者としても、杓子定規に「正しい表現」にとらわれすぎず、適度に遊びをもってコトバと付き合っていきたいものです。……とはいえ、実際の仕事の中では杓子定規に振る舞わないといけないことも多く、ままならないのですが。


 さて、次回は「事実確認」や、「差別・不快表現」の観点についてお話しします。あと1回、お付き合いいただければ幸いです。

鶴岡眞屋子(つるおか・まやこ)

1992年2月生まれ、東京出身。株式会社鷗来堂 校閲部校閲室所属(2014年入社)。「文章」にこだわりを持つ自閉症スペクトラム。小説作品、教科書などの校正・校閲のほか、VBAマクロなど、社内向け小規模システムの開発も担当。

http://www.ouraidou.net/

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