• 奥成洋輔

セガサターンとふり返るあの時代③ プレイステーションの逆襲

更新日:8月22日


セガサターン

(C)SEGA


ソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による「次世代ゲーム機戦争」。現役セガ社員の奥成洋輔さんによる執筆で、当時の状況をふり返ります。第3回は1996年の年始に放映されたあのテレビCMからスタート。そして1996年はセガサターン、プレイステーションともに充実のタイトルラインナップをそろえ、大きく売り上げ台数を伸ばすことになるが……?



ゲーム業界が騒然となった、あのテレビCM


 1995年の年末商戦は、発売から1年経った次世代ゲーム機が大きく市場を拡大した。旧世代機であるスーパーファミコンが『スーパードンキーコング2』『ドラゴンクエストVI』などを発売し前年に続き好調な一方で、特にセガサターンは大きく盛り上がった。年末を待たず本体は完売、プレイステーションに先駆け国内販売200万台を達成。


 ソフトウェアでも『バーチャファイター2』が、次世代機市場および日本国内のセガで初めて100万本を販売するなど大きく存在感を示す。このまま1996年もセガサターンの快進撃が続くだろうと思われた正月明け、テレビで60秒の長編CMが公開された。


「ファイナルファンタジーVII、始動」

「1996年12月発売予定」

「プレイステーション」


 ゲーム業界は騒然となった。『ファイナルファンタジー』は、これまでずっと任天堂のハード向けで続いてきた人気ゲームで、『ドラゴンクエスト』と双璧を成すRPGの人気シリーズだ。しかも発売元のスクウェアは、特に任天堂と関係が深いとされていたメーカーで、この3月には任天堂と2年をかけて共同開発した、スーパーファミコン向けタイトル『スーパーマリオRPG』が発売されるというタイミングでもあった。


 そんな中での突然のビッグタイトル移籍&スクウェアのプレイステーション参入発表である。そして発売は12月。あと1年も待たずにFF最新作がプレイできるのだ。人々はもはや「次世代ゲーム機」ではなく、ファイナルファンタジーの新作を遊ぶためのゲーム機を求めた。


 この発表を皮切りにプレイステーションは反転攻勢、「スーパーファミコンの次はプレイステーション」というイメージを定着させるべく、『ファイナルファンタジーVII』を主軸にした1年に渡るプロモーションを展開する。この発表はこの春発売となる「ニンテンドウ64」への牽制でもあった。


 スーパーファミコンと同じ2万5000円という低価格で、満を持して4月に発売(後に6月に延期)される任天堂の新ハードに対抗するため、セガサターン、プレイステーションはともに本体の価格をさらに下げる。


 まずセガサターンは、白い本体カラーの新型サターンを3月に2万円で投入。プレイステーションは春に2万4800円、5月に1万9800円へと連続した値下げを行った。どちらも発売から1年半で半額以下の値段だ。E3に合わせてアメリカでも199ドルに下げた両ハードは、いよいよ本格的に全世界的な市場拡大を目指した。



『サカつく』『エヴァ』『ドラゴンフォース』……ヒットの裏にある苦労


 さて、話を年始に戻す。年始の『ファイナルファンタジーVII』ショックこそあったものの、セガ社内の士気は極めて高かった。発売はまだ1年も先であり、普及台数もセガサターンがリードしている。


 前世代機メガドライブやゲームギアの開発も縮小され、アーケード開発部門も互換基板「ST-V」向けタイトルを開発することで、全社一丸となってセガサターンに取り組むようになった。開発環境にも慣れてきて、ハードスペックを生かしたタイトルが続々と発売を迎えた、1996年のセガサターンの思い出話をまとめて触れてみたい。


 まずスポーツタイトル。前年セガは2本の野球ゲームをリリースしていた。1つは美しいグラフィックに定番操作のセガサターン向け『グレイテストナイン』。もう1つは独自の投打システムを取り入れたメガドライブ向け『超球界ミラクルナイン』。


 この2本のゲームを見た社長が言った。「これは逆ではないか? 斬新なシステムは新しいハード向けに出すべきでは?」と。その問いに対する答えが、新システムと完全3D化の両方を果たした春発売の『ビクトリーゴール’96』だ。さらに翌年発売の『グレイテストナイン’97』と合わせ、次世代スポーツゲーム市場を一歩リードした自信作が生まれた。


 そして、世界でも類を見ない「サッカー・シミュレーション」が2月に初めて登場した。それが『Jリーグ プロサッカークラブをつくろう!』である。「『ダービースタリオン』は最高のゲームだから、あれを先に発売した次世代機が勝つ!」と常々語っていたダビスタ好きのディレクターが、ダビスタをお手本に自ら生み出したゲームだ。


 完成した唯一無二のゲームは大ヒットこそしなかったものの、手にしたユーザーに強く支持され可能性に満ちたタイトルになる。ただ試行錯誤を重ねた開発の影響か、バグ潰しは最後の最後まで難航して会社を悩ませ、スタッフが求めた続編開発はペンディングされた。


 3月には、放送中のTVアニメをゲーム化した『新世紀エヴァンゲリオン』も発売となった。当時セガはおもちゃを手掛けるトイ事業部の拡大を目指し、TVアニメのスポンサーを積極的に行っており、昨秋から始まった『新世紀エヴァンゲリオン』には特に力を入れていた。


 しかし年末商戦で発売した「アクションフィギュア」は売れず、店頭で山積みに。問屋に失敗作の烙印を押されたエヴァは、同月発売の『パンツァードラグーンツヴァイ』や『ドラゴンフォース』『ビクトリーゴール’96』などが20万、30万もの受注を集める中で、たった2万本しか集まらなかった。


 もちろん当時のファンならご存じの通り、エヴァの人気は年を明けた頃からすごい勢いで増えていたのだが、問屋でそれに気づいたところはなかった。開発リーダーは、「絶対に足りなくなる。自分が製造費を肩代わりするから10万本製造してくれないか」と会社へ懇願するものの、一社員がそんな責任を持つことなどできるはずもなく、ソフトは発売され、案の定即完売となった。


 当時は今ほどリピート製造のスピードは早くなかったため、次の出荷は放送終了後。開発チーム一同はチャンスロスに落胆するが、エヴァはこれまでの作品とは違った。月末に放送された最終回後に人気がさらに大爆発。翌月には映画化も発表となり、ゲームソフトはリピート販売を順調に重ね、数十万本のヒットとなる。開発チームには続編の開発がオーダーされた。


エヴァほか多数のおもちゃを出展した秋の玩具見本市(1996年8月/画像提供:セガ)


 セガサターンの思い出としていまだによく語られることもあるシミュレーションRPG『ドラゴンフォース』も非常に難産なタイトルだった。スタート後しばらくして外注会社の経営が傾いてしまったのだ。


 開発を継続させるため、セガはスタッフすべてを社内に組み込むことで継続させ、さらに立て直しのため内作スタッフを大量に投入する。粗が目立つ仕様を見直しながら組み上げ、猛スピードで完成させた。売りだった100対100の戦闘後の「一騎討ち」も当初仕様が存在せず、完成間近にあわてて追加したことなど、よく完成できたものだと驚く逸話も多い。



『NiGHTS』『サクラ大戦』発売! 充実したセガサターンのラインナップ


 有名なあの事件もこの春に起きた。3DOでリリース後、プレイステーションとセガサターンに移植され大きな話題を呼んだホラーアドベンチャー『Dの食卓』。その開発会社WARPが手がけるオリジナル新作『エネミー・ゼロ』が、突如プレイステーションからセガサターン向けにプラットフォームを変更するという発表が行われた。


 そしてその発表会場はなんとソニー主催の「プレイステーションエキスポ」のイベントブース内。ゲームの内容以上にパフォーマンスが目を引くWARPという野心的なメーカーは、年末の『エネミー・ゼロ』発売後もセガハードを軸に業界へ話題を振りまいていく。


「X指定」タイトルが華開いたのもこの1996年の春だった。「X指定」とはセガ独自レーティングで最も年齢の高い、18歳以上向けのものを指す。大人向けゲームに門戸を開いたセガサターンは、これまで家庭用ゲームソフトには移植不可能と言われていたPCのいわゆるアダルトゲームの移植を可能とした。


 当時PCで特に人気の高かったエルフが参入し、『野々村病院の人々』をリリースしたのだ。ほか『きゃんきゃんバニー・プルミエール』や『美少女雀士スーチーパイⅡ』などなど、大人向けゲームが続々と登場した。


 ただ、折しもハードの価格が下がったことによる、ライト層や低年齢層など購入者層の拡大期だったことや、まだ業界全体でレーティング制度を導入していない中で、年齢別販売コントロールに不十分な状況が生まれた結果、アダルトゲームが遊べることがかえってセガサターンを悪目立ちさせてしまう。その結果、秋にセガは苦渋の決断として「X指定」を廃止し、大人向けジャンルを制限することになった。


 夏は「ニンテンドウ64」と同時発売の『スーパーマリオ64』の発売に対抗して、ソニックチーム2年ぶりの新作『NiGHTS into dreams...』を発売した。ソニックと同様爽快感とスピード感のあるゲーム内容はもちろん、ニンテンドウ64の特徴となっていたアナログ入力デバイス「3Dスティック」に対抗するため、「セガマルチコントローラー」というアナログコントローラーを新たに開発し、ソフトに同梱する。なめらかな動きを可能としたアナログ操作は、NiGHTSの大空を飛ぶ動きにもぴったりで、その後もコントローラーはレースゲームなどでも真価を発揮する。


『NiGHTS into dreams...』のバルーン(1996年6月の東京おもちゃショー/画像提供:セガ)


 さらに同じタイミングで、ついにハドソンによるセガサターン向けタイトルが発売になった。ハドソンといえばファミコン、PCエンジンを支えてきた人気メーカーであり、これまで次世代機ではPC-FX向けにのみ独占リリースしていた。セガにとっては長年ライバルだったメーカーで、セガが苦手としていた若年層のファンを多く持つことでも知られていた。


 そのハドソンがついにセガサターン向けにタイトルをほぼ独占的にリリースすることになったのだ。参入第1作の『サターンボンバーマン』発売時には専用のマルチタップとコントローラーを発売するほどの力の入れようだった。


 そして秋にはついに『サクラ大戦』が発売となった。豪華スタッフによる独特の世界観、キャラクター、音楽などを、発表会を開いて世間に披露したのは1年前の秋だった。しかし本作も『ドラゴンフォース』と同様、一旦は外注開発で始まったものの間もなく頓挫。


 あらためて『ブルーシード』開発スタッフを中心に、『ドラゴンフォース』を完成させたスタッフが合流し社内開発としてリスタート。ゲーム内容、システムなどをイチから作り上げた。一時はプロジェクト中止もささやかれながら奇跡の復活を遂げた本作は、関係者の予想を越えた盛り上がりを見せ、栄えある第1回CESA大賞(後の「日本ゲーム大賞」)を受賞した。


『サクラ大戦』(1996年8月の東京ゲームショウ/画像提供:セガ)


 大作だけではない。例として対戦格闘ゲームを列挙すると、1月に『ストリートファイターZERO』(9月に『2』も)と『ガーディアンヒーローズ』が。2月に『ヴァンパイアハンター』。3月は『ザ・キング・オブ・ファイターズ’95』(12月には『’96』も)。6月に『餓狼伝説3』、9月に『リアルバウト餓狼伝説』、11月に『サムライスピリッツ斬紅郎無双剣』と、2D格闘ゲームの人気タイトルが続々とリリースされた。


 3D格闘も夏に『ファイティングバイパーズ』、年末には『ファイターズメガミックス』と連発。同じく年末には対戦ロボットシューティング『電脳戦機バーチャロン』も見事な再現度で対戦まで実現し、オンライン対戦版までが用意された。


 そのほか『ガングリフォン』『ときめきメモリアル』『機動戦士ガンダム外伝』などもこの年に発売され、年末にはプレゼント専用ソフト『クリスマスナイツ冬季限定版』を同梱したスペシャルセット本体を発売。大きな話題となり販売数を伸ばした。


 1996年のラインナップは史上最高の充実度といえるもので、ファンにとっては夢のようなタイトルラッシュだったに違いない。セガサターンはこの年だけでさらに200万台を販売し、国内合計400万台となる。たった2年でセガの国内ハードの最高販売台数を更新したのだった。


『電脳戦機バーチャロン』(1996年8月の東京ゲームショウ/画像提供:セガ)



それでも、プレイステーションは国内合計500万台を売り上げた


 それであったにも関わらず、今現在ふり返ると1996年とは多くの人にとってプレイステーション躍進の年として記憶されていることだろう。


 まず春の最大のヒットは、カプコン無名の新作『バイオハザード』だった。これまでも『クロックタワー』や『弟切草』など恐怖を扱ったゲームはあったが、本作はこれまでと一線を画しており、映画ですら味わったことのない恐怖を体感できることが話題で、歴史に残るゲームとなった。


 そして夏のゲーム業界を席巻したのは『ファイナルファンタジーVII』旋風だった。正しくはスクウェアのプレイステーション参入第1弾タイトル『トバルNo.1』に同梱された体験版だ。


『トバルNo.1』は、鳥山明がデザインしたキャラクター、そして『バーチャファイター』と『鉄拳』を開発したスタッフがスクウェアの資金を得て独立して作られた新作3D格闘ゲームといったことも話題だったが、そんな本編の魅力すらオマケの存在にかき消された。序盤少しだけしか遊べなかった内容であったにも関わらず、これを遊んだかどうかがゲームファンの挨拶代わりになっていた。


 秋も『女神異聞録ペルソナ』など新たな作品が話題を集めながら、三度訪れた冬の年末商戦。待望の『ファイナルファンタジーVII』は翌年へと延期になっていたが、ソニー自身が提供するタイトルが続けざまに成功を収めた。


 音楽ゲーム『パラッパラッパー』、RPG『ワイルドアームズ』、そして、プレイステーションを代表するアクションとなる『クラッシュ・バンディクー』だ。年齢・性別に関係なくすべてのユーザーにアピールしたこの3作(夏のRPG『ポポロクロイス物語』も含めると4作)のヒットとともに、プレイステーションは年末にハードが完売、ファイナルファンタジー発売を待たずセガサターンを追い抜き、500万台近くまで台数を伸ばした。


 熱いゲームファンに支えられたセガサターンに足りなかったのは、ターゲットに縛られない万人向けのゲームであり、ここでもやはりセガが苦手としてきたRPGだった。


 そして海外にも目を向けてみると、199ドルになったプレイステーションが日本以上にブレイク、全世界合計で1000万台を突破した。セガサターンが北米で100万台を突破した頃、プレイステーションは2~3倍の実績を収めており、欧州も含めた全世界で比較すると、セガサターンとプレイステーションにはこの年末で倍近くの差が生まれていた。


 全体シェアで見れば、スーパーファミコンとメガドライブを有する任天堂とセガはいまだ高いシェアを持っていたが、そこにソニーが大きく存在感を示したのがこの1996年だったのだ。


 なお6月に発売されたニンテンドウ64は、同時発売の『スーパーマリオ64』はもちろん年末の『マリオカート64』も大ヒット。たった半年で100万台以上を売り上げたが、年内にリリースされたタイトルはわずかに10本だった。この年末もスーパーファミコンが『スーパードンキーコング3』や『ドラゴンクエストIII』で存在感を示した。


 ついに数で逆転され、プレイステーションを追う立場となったセガサターンは巻き返しを図るが、1997年はさらなる波乱と混乱が待ち受けていた。


※一部修正しました(7月30日19時30分)

奥成洋輔(おくなり・ようすけ)

1971年生まれ。1994年に株式会社セガ・エンタープライゼス(現・セガ)入社。2000年DC『エターナルアルカディア』でアシスタントプロデューサーを担当、2004年にPS2『サクラ大戦V EPISODE 0 ~荒野のサムライ娘~』を初プロデュース。2005年以降旧作の復刻を数多く手掛ける。主な作品にニンテンドー3DS「セガ3D復刻プロジェクト」シリーズ、『メガドライブミニ』『ゲームギアミクロ』など。

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