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  • 執筆者の写真奥成洋輔

セガサターンとふり返るあの時代④ 次世代ゲーム機戦争は最終局面へ

更新日:2022年4月29日


『ソニックR』

(C)SEGA


ソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による「次世代ゲーム機戦争」。現役セガ社員の奥成洋輔さんによる執筆で当時をふり返る本連載。今回の舞台は1997年。その前年、ハードの販売台数に大きな影響を与えるビッグタイトルである『ファイナルファンタジー』の最新作が、プレイステーションで発売されることが決定(第3回を参照)。そして、さらなるビッグタイトルの発表によって、いよいよその戦いに決着がつこうとしていた。一方、劣勢に立たされたセガサターンは、人気タイトルの投入で最後の輝きを見せる。



2つのビッグニュースで始まった1997年のゲーム業界


 1995年の冬商戦でプレイステーションに勝利したセガサターンは、1996年も順調に台数を伸ばした。得意の格闘ゲームだけでなく、秋には『サクラ大戦』というこれまでにない新たな代表作もヒットさせる。


 しかし1996年のプレイステーションは別次元の成長を見せた。年始の衝撃的な『ファイナルファンタジーVII』の発表以降、急激に増した勢いは止まることがなく、1年を通じてセガサターンを上回る成長を見せ、販売台数でも逆転する。海外市場ではさらに大差をつけられていた。

 

 新たに参戦したニンテンドウ64は、『スーパーマリオ64』と『マリオカート64』という他社の追随を許さない高品質のタイトルをリリース。いずれもヒットするが、『ファイナルファンタジーVII』の発売がプレイステーションになったことなどもあり、スーパーファミコンの市場をそのまま引き継げる雰囲気ではなさそうだった。


1996年、『NiGHTS』や『サクラ大戦』など、人気も評価も高いタイトルを出すも……(画像提供:セガ)


 そしてやってきた1997年。いよいよ1月末に発売となる『ファイナルファンタジーVII』の話題でプレイステーションは過去最大の盛り上がりを見せていたが、その発売直前にさらなるビッグニュースが立て続けにやってきたところから波乱の年は始まる。


 最初のニュースは、プレイステーション向け『ドラゴンクエストVII』発売決定の発表だ。最初にしてこの年最大の事件でもあった。当時のドラクエ人気はファイナルファンタジーを上回るものであり、日本の人気RPGのトップ1、2がスーパーファミコンからプレイステーションへと場を移した。『ワンダープロジェクトJ2』でいち早くニンテンドウ64に参入していたはずのエニックスが、ドラゴンクエストの供給先をプレイステーションにしたことについては、予想はされていたものの実際に正式な発表が出るとインパクトがあった。


 そして、これはもちろんセガサターンにとっても大いに衝撃を与えるニュースにもなった。数年前からエニックスと交渉を続けていたセガは、同日に「セガサターンへのエニックス参入」という発表を得ることができたのだが、同時に「ドラゴンクエスト」が遊べるハードはセガサターンではないことも決まってしまったのだった。


 エニックスは当時のインタビューでも「最も勢いのある、一番売れているハードに」と語っており、1996年商戦で勝者となったプレイステーションを選んだ。「もしドラクエがセガサターンにやってくれば逆転も可能だ」と期待を寄せていたセガ陣営は、大きく肩を落とした。


 このニュースは新聞でも大きく報じられ、「次世代ゲーム機戦争の勝敗が決着した」という見方さえされた。この後実際に『ドラゴンクエストVII』が発売されるのは、ここから3年半も後の2000年8月になるのだが、ファイナルファンタジーのときと同様、どのハードを持っていれば次のドラゴンクエストが遊べるのかが大事なのだ。


 続いてその翌週、もう一つのビッグニュースがやってくる。セガとバンダイの合併の発表である。8カ月後の10月に、2大メーカーが「セガバンダイ」という1つの会社になるという。


 バンダイは前年発売のデジタル携帯ペット「たまごっち」が社会現象と呼べるほど大ヒットしていた一方で、アップルと共同開発したマルチメディアマシン「ピピンアットマーク」は、昨春発売したものの次世代ゲーム機戦争の影で不発に終わる。セガは前年ゲームセンターに登場した「プリント倶楽部」がやはり社会現象になる大ヒット中だが、セガサターンが苦戦。そんなタイミングでの発表であった。


プリント倶楽部(1997年/画像提供:セガ)


 あの日のことはよく覚えている。サターン事業部のあった本社6階に偶然私はいた。時刻は昼の3時くらいだっただろうか。中央にあった事業部長室の前で、突然「ちょっとみんな仕事を止めて集まって」と声掛けがあり、そこで合併の発表がされた。もちろん、そこにいたほぼすべての社員はそこで初めて知った。ざわざわとした空気がフロアを、会社内を覆った。


 期待と不安が入り乱れる中、特にゲームの開発スタッフは皆ポジティブだった。最強のキャラクタービジネスの会社と合併した後、自分たちはどのようなゲームを生み出すのだろう? 第二次大戦のドイツ軍を指揮する硬派なシミュレーションゲーム『アドバンスド ワールドウォー 千年帝国の興亡』は、3月の発売へ向けてちょうど開発を終えたタイミングだった。


 開発チームの「チーム・パイナップル」は、完成直後のハイテンション時に舞い込んだニュースだったからか、特別浮足立っていたように見えた。数日後には『ジオン公国の興亡』という名前のゲームが、セガサターンの開発機上で動いていたからだ。戦車だったユニットはすべてザクやジムになっていて数面を遊ぶことができた。いくらなんでも時期尚早だった。ともかく、ドラクエもFFも関係ない。セガサターンをこれからも盛り上げるぞ!という気持ちを新たにさせてくれたニュースだった。



あまりにも影響力の大きかった『FF』と『ドラクエ』


 その後の春はセガサターンにとってうれしい話題が続く。翌2月はチュンソフトがセガサターンに参入。新作サウンドノベル『街』を発表。3月には、シリーズで初めてのセガサターン向け新作『スーパーロボット大戦F』を、バンダイの子会社バンプレストが発表した。「新世紀エヴァンゲリオン」の参戦が目玉となっており、これは当時ゲーム化権をセガが持っていたことにより実現したものだった。


 春に発売されたセガサターンのタイトルは、アーケードの良質な移植『ダイナマイト刑事』や『蒼穹紅蓮隊』、ファンの要望を受けて作られた『デイトナUSA CIRCUIT EDITION』や『サイバーボッツ』、人気絶頂期に発売した『新世紀エヴァンゲリオン 2nd Impression』や『機動戦艦ナデシコ ~やっぱり最後は「愛が勝つ」?~』といったTVアニメのライセンスタイトル、そしてようやく発売となったハドソンの人気RPG新作『天外魔境 第四の黙示録』、さらに格闘ゲームの技術を応用した新しいソフト『デジタルダンスミックス Vol.1 安室奈美恵』など。


 しかし専門誌でそれら以上に存在感を示していたのは『EVE burst error』と『下級生』というアダルトなアドベンチャーゲームであった。昨秋の「X指定」レーティング廃止に伴い、セクシャルな要素は大幅に控えめになっていたものの、どちらにしてもプレイステーションでは発売されない傾向のゲームだったため、これらのタイトルが注目を浴びた。


 どちらもシナリオのおもしろさは折り紙付きで、特に『EVE』は、専門誌「セガサターンマガジン」の名物企画であった読者人気ランキングにおいて、最終1位を獲得するほどの評価を得ている。


 また、セクシャル要素はないが美少女が登場する恋愛ものもセガサターンでは目立っていた。特に3万本限定で発売された『センチメンタルグラフティ ファーストウィンドウ』は、原作物でも移植物でもないプレビューディスクであるにも関わらず大きな話題となった。キャラクターデザインの魅力一点で推していくメディアミックスの手法が、商業的成功を収めた記念碑的なゲームタイトルだったかもしれない。


 前年に発売された『サクラ大戦』もいくつかのファンディスクを発売するが、中でも春発売の『花組対戦コラムス』は、ストーリー要素の強い贅沢なパズルゲームで、シリーズで唯一セガの社内スタッフが本編以外で手掛けたソフトである。実は『サクラ大戦』はあまりに急なスピードで開発をしたため、スタッフの一部は続編への参加をためらった。そこで新たなメンバーを加え、再編成したのがこのコラムスの開発チームだったのだ。その後『サクラ大戦2』以降のナンバリングタイトルを生み出す「サクラ大戦チーム」の誕生は、ある意味このコラムスから始まったといえる。


『サクラ大戦2』(1997年、東京ゲームショウ/画像提供:セガ)


 このように春も話題の多いセガサターンのラインナップだったが、結果を見ればやはりプレイステーションが5月時点で国内750万台と、年末から1.5倍の成長を示した。『ブシドーブレード』『クーロンズ・ゲート』『エースコンバット2』『悪魔城ドラキュラX』など、話題作もあったが、この成長のほとんどはファイナルファンタジーとドラゴンクエストの功績によるものだろう。


 また海外では本体をさらに50ドル下げ149ドルにした。これは、かつて北米でスーパーファミコンが発売される際に、先行するセガがメガドライブに付けた値下げ価格と同じであった。いよいよ誰もが「次世代ゲーム機」を手に入れられる価格になったということだ。


 なおニンテンドウ64も本体価格を日本では1万6800円、北米では150ドルに下げた上、新作『スターフォックス64』も抜群の完成度で気を吐いたが、夏の『ゴールデンアイ 007』など四半期ごとに出る任天堂発売ソフトだけが話題になる構造は変化がなく、国内では伸び悩む。


 ただし任天堂はその一方で、昨年発売したゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター』が徐々に盛り上がり、4月にTVアニメが始まるとその人気を一層加速させていく。そのブームは、本来終焉を迎えるはずだったゲームボーイ本体そのものの命をも甦らせていくのであった。


 ゲームボーイとは反対に、セガサターンは急速に失速していく。海外でのプレイステーションとの差が明白になり、北米では社内からも「失敗」というような言葉が漏れてくると、海の向こうからセガサターンに代わる「さらなる次世代ハード」の噂がちらほらと聞こえてくるようになった。日本でもメディアがそのニュースを取り上げると、日本国内にも不安が広がるネガティブなスパイラルが始まっていく。


 そこへきて5月末。バンダイから合併解消の通知が出る。世紀の大合併となるはずだった「セガバンダイ」の計画は、わずか4カ月で消えてしまった。それぞれの会社と経営陣の信用に与えたダメージは大きく、ここまでセガとバンダイを大きくしてきた両社の社長は、時期は異なるが最終的に経営を退くことになる。



セガサターン、最後の輝き!?


 セガがごたごた、任天堂が苦戦している中で、夏もプレイステーションのタイトル数は増える一方だった。前世代機の勝者スーパーファミコンが急速に影響力を失っていく代わりに、プレイステーションのタイトルは『ファイナルファンタジータクティクス』『ダービースタリオン』に『アーマード・コア』『モンスターファーム』など老若男女、ライトからコアまでにアピールする強力なタイトル群が形成されてきていた。この夏の終わりにはハードが全世界2000万台突破のアナウンスが出され、夏発売の『みんなのGOLF』はソニーで初めて100万本出荷というリリースも出された。


 セガサターンは夏こそ『ラストブロンクス』『リアルサウンド』『サンダーフォースV』などを出すも苦戦したが、秋には『スーパーロボット大戦F』『デッドオアアライブ』、そして『カルドセプト』などサードパーティーの有力なタイトルが登場。さらに『サクラ大戦2』『シャイニング・フォースIII』の発表もあって期待を繋げた。


 ところがその明るい雰囲気を壊したのは、やはりニュースメディアだった。年末の強力なラインナップをアピールしていた9月の東京ゲームショウの最中に、日本経済新聞において「セガがマイクロソフトと128ビット機を共同開発」との報道が出てしまう。記事によると発売は1年後と具体的なもので、春から散発的に漏れ伝わる新たな次世代機の噂の決定的なものになった。


『ラストブロンクス』(東京ゲームショウ’97春/画像提供:セガ)


 とはいえ、この年末のセガサターンのラインナップは、不発だった昨年とは異なり、他機種に決して見劣りすることのない「最後の」輝きがあった。先陣を切ったのは『Jリーグ プロサッカークラブをつくろう!2』だ。秋の発売がずれ込んだのは、単純に開発遅れによるものであった。一度は断念したうえでようやく認めてもらった悲願の続編開発であったが、一から作り直したこともあり、再び開発は苦戦。社内の空気は冷え切っていた。延期した発売日は最終的に11月20日と、既にJリーグ公式戦の日程が終わっているタイミングだ。


 しかしそのとき、彼らに神風が吹いた。ソフト発売4日前の11月16日、1998年ワールドカップ フランス大会のアジア地区予選の第3代表決定戦で、日本がイランを延長の末に勝利し、悲願の初出場を決めたのだ。Jリーグファンのみならず日本中が瞬間的にサッカーの熱気に包まれた中で発売された本作は、驚異的なヒットとなり50万本以上を販売。その後も長く続く新しいセガの人気シリーズが生まれた。


 さらに待望のオリジナル大作RPG『グランディア』、人気RPGの続編『デビルサマナー ソウルハッカーズ』、そしてメガドライブ以来の新作『シャイニング・フォースIIIシナリオ1』や『ソニックR』、人気の高いアドベンチャー『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』に、拡張4M RAMカートリッジを同梱した究極の2D格闘移植『X-MEN VS. STREET FIGHTER』などが発売され、セガハードが長年苦手としてきたRPGタイトルがようやく出揃ったのがこの1997年末商戦だった。


『ソニックR』(1997年、E3/画像提供:セガ)


 そしてテレビCMには、ついにあの「せがた三四郎」シリーズが開始される。セガサターンの広告を手掛けてきた博報堂による会心の企画であった本シリーズは、この年バラエティー番組への出演で人気が再燃した俳優の藤岡弘、を起用。「セガサターン、シロ!」というコピーとともに大ブレイクし、主題歌のCD化、着せ替え人形や架空の自伝が発売されるなど、せがたは「ゲーム以上に目立ってどうする」と言われるほどの強い存在感を見せた。

しかしゲームの満足度の高さやCMの話題性とは裏腹に、ハードの普及はもはやびくとも動かなかった。


 プレイステーションは本体価格を1万8000円に下げつつ、後発ながら2つのアナログスティックと振動機能という新たな発明を加えたコントローラ「DUALSHOCK」を同梱した新本体を発売。ソフトラインナップも究極のレースゲーム『グランツーリスモ』『クラッシュ・バンディクー2』をはじめ、スクウェアの『チョコボの不思議なダンジョン』、ナムコのアーケード移植ではないRPG『テイルズ オブ デスティニー』、新たに参入したハドソンの『桃太郎電鉄7』などを揃え、ついに国内だけで1000万台という大台を達成する。


 対するセガサターンは国内では1年に100万台すら伸びず計500万台と、たった1年で倍の差が開いてしまっていた。苦戦が続くセガサターンに、最後の年がやってくる。


『シャイニング・フォースIII』(東京ゲームショウ’97春/画像提供:セガ)

 

奥成洋輔(おくなり・ようすけ)

1971年生まれ。1994年に株式会社セガ・エンタープライゼス(現・セガ)入社。2000年DC『エターナルアルカディア』でアシスタントプロデューサーを担当、2004年にPS2『サクラ大戦V EPISODE 0 ~荒野のサムライ娘~』を初プロデュース。2005年以降旧作の復刻を数多く手掛ける。主な作品にニンテンドー3DS「セガ3D復刻プロジェクト」シリーズ、『メガドライブミニ』『ゲームギアミクロ』など。

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