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【伊勢角屋麦酒①】世界を獲ったクラフトビール「ペールエール」ができるまで

更新日:8月20日


伊勢角屋麦酒 クラフトビール

老舗の餅屋からビール会社へ。まったく新しい業態への進出にも関わらず、看板ビール「ペールエール」で世界を獲り、日本有数の醸造所に成長させた伊勢角屋麦酒の代表取締役社長、鈴木成宗さんにインタビュー。全2回に渡り、創業当時の話から世界一になった経緯、クラフトビール業界の展望などを聞いた。



第一次ブームを迎えた1997年に創業。そのときの市場は……


――鈴木さんは「有限会社二軒茶屋餅角屋本店」の代表を務めています。1575年創業という老舗の餅屋の代表が、どういう経緯でビール事業に参入したんですか?


うちはずっと家内制手工業で経営していた個人商店でした。大学卒業後に実家に戻って会社に入ったのですが、会社の意義は理解しながらも、すぐに飽きてしまった。生菓子を扱っていたので、その日の朝に作って店先で売るという毎日。そんな狭い商圏でしか勝負ができないことに不満を感じていたんです。


そんなときに、酒税法が改正されて(※1994年)、小規模事業者でもビールの醸造ができるようになりました。大学時代は微生物の研究をしていたので、「ビールなら微生物と遊べるぞ」と思って1997年に創業したんです。大義名分も何もなかったですね(笑)。


有限会社二軒茶屋餅角屋本店


――1997年は、クラフトビールが盛り上がったタイミングですよね。


当時は「地ビール」と呼ばれていて、ちょうどブームのピークを迎えた年でしたね。たくさんのブルワリーも誕生して。ただ、地ビールのほとんどが粗製乱造と言えるもので、この年を境にブームは下火になっていきました。


とにかく技術的に未熟なところが多かったんです。「おいしい、まずい」というレベルではなくて、売ってはいけない品質のものがほとんどでした。私は創業時から毎年、名古屋国税局の地ビール勉強会に参加して、管内で造られた地ビールのテイスティングをしていたんですけど、8割近くのビールにオフフレーバーが混じっていた。


ビールにはオフフレーバーと言われる香気特性があります。ビールにはあってはならない、またはないほうが好ましいとされるものです。そうしたビールを飲んで、「また飲みたい」と思うわけがない。ですから当時は、地ビールといえば「高くてまずいもの」という印象になってしまった。ブームが終わるのは当然でしたね。


――品質の悪いビールが大量に造られた背景には何があったんですか?


要因はいくつかありますが、一つは日本ではホームブルーイング(家庭醸造)が禁止されていることです。要するに、「調理師免許を取るまでは、包丁を持ってはいけません。鍋に火をかけてはいけません」ということ。


一方で、海外なら家庭でビールを造ることができます。アメリカではホームブルワーが100万人いると言われていますが、家庭で経験を積んだ人がプロになるわけです。日本はビールに限らず、お酒はすべて家庭醸造が禁止されています。その結果、ド素人がビールを造り、海外ではありえないような品質のものが出回ってしまいました。


それともう一つ。猫も杓子も地ビールになってしまい、地ビールを造れば売れる、さらには町おこしになると考える人も多数いた。そこにモノづくりに対するポリシーやコンセプトは一切ありませんでした。当時、いくつか地ビールメーカーを見に行きましたけど、モノづくりをナメていましたからね。


――素人がなんとなく参入してしまったわけですね。


技術も意欲もありませんでした。ビールのことを知らないから、どんなものを造りたいのかがはっきりしない。ただ「おいしいものを造りたい」だけ。「あなたの考えるおいしいとは何ですか?」と聞いても、そこにはまったく具体性がないんですよ。


そもそも醸造のことを知らない。アメリカにはホームブルワーがたくさんいるので、醸造に関する本もたくさん出版されているんです。つまり、技術的な文字情報が豊富に存在する。それが市場のリテラシーとして形成されているんですけど、日本ではまったくない。


ビールは空気に触れたら酸化することさえ知らない人もいましたね。タンク移送をするとき、移される側のタンクは炭酸ガスに置換していくのが当然なんですよ。ところが、空気の入ったタンクに、出来上がったビールを移送してしまう。自分たちで客観的に評価する力もありませんから、「うちのビールってなかなか個性的でしょ」と言ってしまう。それは個性ではなくて、ただ酸化しているだけ。


これでは業界そのものがなくなってしまうという危機感がありましたね。すでに参入していましたから、業界を守らなければいけないと思う一方で、これはとんでもないところに入ってしまったとも思いました。


――業界の停滞はしばらく続いたんですか?


2000年ごろに底をついて、それから徐々に回復してきました。その背景には、ダメなところがだんだん淘汰されていったことが挙げられます。おいしい地ビールに出合う確率は低かったのですが、それでもおいしいビールを造る醸造所はありましたから。それと、業界が一丸となって、いろいろなビアフェスやイベントを開催して盛り上げてきたことも影響していると思います。


鈴木成宗さん

鈴木成宗(すずき・なりひろ)さん。有限会社二軒茶屋餅角屋本店 伊勢角屋麦酒 代表取締役社長。1967年、伊勢市生まれ。東北大学農学部卒業後、家業の餠屋の仕事に就く。1997年、ビール事業に参入すると、2003年には日本企業初の「Australian International Beer Awards」で金賞を受賞。それ以来、数々のビール審査会で受賞するビールを造り続けている。著書に『発酵野郎!世界一のビールを野生酵母でつくる』(新潮社)がある



世界を獲る最短ルートは審査員になることだった


――ビール事業はゼロからのスタート、苦労も多かったのでは?


そうですね。餅屋は小さいながらも数百年というのれんの重さがありますが、ビールは自分でブランドをつくっていくしかなかった。当時は「餅屋の倅(せがれ)がビールで遊んでる」という声もありましたし。


また、創業した年に新聞やテレビ、ラジオで「伊勢のビールが誕生!」と大きく出てしまったんです。「これはいいものを造らないといけないぞ」と思って、5年以内に世界大会で優勝することを目標にしました。


――優勝するために、どういう方針を採ったんですか?


お金も時間も設備もありませんでしたから、最短距離で優勝するために、国際審査員になりました。自分が選ぶ側に回ったほうが早いと思ったんですよ。審査の基準を知ることができますからね。


まずは審査員資格を取って日本大会の審査員を1997、98、99年と務めました。1999年には全米大会の日本代表審査員に選んでいただいて。ビール界のオスカーと言われるInternational Brewing Awardでも2回、審査員を務めました。


審査員としてたくさんのビールを審査して、情報交換もすることで、徐々に自社のビールの完成度を上げていくことができました。結果的に2003年のAustralian International Beer Award(AIBA)というオーストラリアの大会で金賞を受賞。6年かかっちゃいましたけど。


AIBAで金賞を受賞 ペールエール

Australian International Beer Award(AIBA)で金賞を受賞


――そして、受賞をきっかけに売上も伸びた、と。


実は売上にはつながらなかったんですよ。地元では「ちゃんとしたビールを造っているんだ」という評価になりましたけど、まったく売れなかった。タイトルで箔をつけるという戦略がダメだとわかったので、方針を変えました。マーケットを見て、お客様のニーズに合うものを造るようにしたんです。


具体的には、クラフトビールが好きなファンと、ライトユーザー(観光客)で商品展開を変えました。それまではコアなファン向けに事業を展開していたので、ライトユーザーに向けた、おみやげ用の缶ビールを製造したんです。この方針転換は非常にうまくいって、売上がグーッと伸びましたね。生産規模も拡大して、2018年には新工場も設立しました。


神都麥酒 クラフトビール 缶

おみやげの定番「神都麥酒(しんとビール)」を含む、4種類をラインナップ


それまでは悲惨な生活をしていましたよ。床屋に行くお金がないから妻に散髪してもらったり、ガソリンスタンドに行って「レギュラー2000円分」と頼んだり。新幹線に乗れないから夜行バスに乗って1泊分を浮かして、1泊1500円の木賃宿(屋根のある部屋を提供するだけの安宿)に泊まっていたこともありました(笑)。



クラフトビールのアイデンティティーとは?


――伊勢角屋麦酒といえば看板商品の「ペールエール」ですが、一般的に人気のあるスタイルなんですか?


市場ではペールエールはあまり人気がなくて、IPAばかりですね。IPAはクラフトビールの一つの象徴なんです。大手のビールとは違う強い苦み、強い香りと味……一般的なラガー、ピルスナーでは表現できないことを表現できるのがIPAというスタイルです。


――そんな中、「ペールエール」が看板ビールとなったのはなぜでしょうか。


そこに全力を注いだからでしょうね。1997年の4月に最初に仕込んだビールがペールエールだったんですよ。最初に完成したのがペールエールで、国際大会で初めて受賞したのもペールエール。だからペールエールはうちのアイデンティティーの象徴みたいなビールです。


ですから、2003年にオーストラリアの国際大会で受賞したとき、業界の方が「伊勢角屋ビールのペールエールを飲んで、地ビールはまずいと言う人はいないだろう」と書いてくれたのはうれしかったですね。


それから当時、「伊勢ペに帰る」という言葉もできたんですよ。「伊勢ペ」はすごくクリーンでニュートラル。だから、ビアバーでいろいろなビールを飲んだら一度「伊勢ペ」を飲んでニュートラルに戻して、また別のビールを飲むといった具合です。


看板ビール「ペールエール」は、創業以来23年連続人気ナンバー1。2017、2019年の英国大会で連続金賞。(2枚目の画像は伊勢角屋麦酒提供)


――クラフトビール=エールビールのイメージを持っていましたが、伊勢角屋麦酒では「伊勢ピルスナー」のようなラガービールも製造されていますよね。


クラフトビールはもともと大手に対するアンチテーゼとしての立ち位置が強かったんですよ。大手はラガービールが圧倒的に多いので、クラフトビールはエールビールになったという側面があります。


また、ラガービールはエールビールに比べて熟成に時間がかかるんです。エールビールはだいたい1カ月も熟成期間があればできますが、ラガービールだと落ち着かせるのに最低2カ月、長いと3カ月かかってしまう。


――市場でラガービールが多いのは世界共通なんですか?


圧倒的にラガービールが多いですね。ラガービールは、チェコのピルゼンという町で生まれました。それまでのエールビールと異なり、見た目に透明感があって、味もクリーンだった。ラガービールとエールビールの大きな違いは、酵母による香気特性なんですよ。


ラガー酵母はおとなしくて、ピシッとスーツを着ているイメージ。エール酵母は渋谷を歩いているお兄さんやお姉さんみたいな(笑)。見た目は派手だし、言いたいことも言うし、何をやるかわからないけど、おもしろい。


ラガービールが誕生したときというのは、渋谷のお兄さんやお姉さんしか知らなかった人が、いきなりスーツをピシッと着こなした人を見て「かっこいい」「これこそビジネスマン」という印象を受けたようなものです。


――なるほど。ラガービールは新しい価値観を持っていたんですね。


そういうわけで、ラガービールが世界中を席巻した。ところが、それがひと回りしたとき、ビールはそんな画一的でいいのかというアンチテーゼが生まれたわけです。


ただ、ラガービールでも自分たちらしさを出す方法はいくらでもあります。たとえば、IPL(インディアペールラガー)。うちも造ったことがありますけど、とてもすばらしいラガービールです。


――ちなみに、鈴木さんがこれまで飲んだビールで、印象に残っているものはありますか?


衝撃的なビールはたくさんありますけど、一つはベルギーの「Duvel(ヂュベル)」ですね。9パーセントもあるのに、あれだけのドリンカビリティーと、トータルバランスのすばらしさ。この完成度はすごいなと思いましたね。


もう一つはアメリカのビアバーで飲んだ「Dogfish Head 120 Minute IPA(ドッグフィッシュ・ヘッド・120ミニッツ IPA)」。あれほどホップが強烈に重層的に香ってくるビールはそれまで飲んだことがなかったですね。



に続く)

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