自己肯定感は上げなくていい。「私」の呪縛を手放す仏教の教え|カレー坊主のお悩み相談
- カレー坊主

- 6月8日
- 読了時間: 3分

【カレー坊主のお悩み相談 #10】今回の相談は、幼少期の経験から、50代になった現在も自己肯定感の低さに苦しむというお悩みです。過去の残酷な言葉に縛られ、自分を肯定できないという慢性的な苦痛。カレー坊主さんが、他人に貼られた評価のシールを剥がして生き直すための論理的なアプローチを回答します。
【相談】
子供のころに、親からは生まれてきたことを全否定され、学校ではお前がいなくなればみんなが幸せになるのにと言われ、居場所がないまま生きてきました。その時の自己肯定感の低さから未だ脱出できません。どうすれば自己肯定感が上がるようになるでしょうか。(50代、女性、専業主婦、かずはさん)
【希望する回答の「辛さ」】
お任せ
【カレー坊主さんの回答】
自己肯定感を上げたい。よく聞く言葉です。でも、そのまえにひとつ考えてみたいんです。
肯定する自己って、いったいどこにあるんでしょう。
昨日はダイエットを決意したのに、今日はカツカレー大盛りを食べたい。どれが私なんでしょう。ぜんぶ私なんですけど、ぜんぶバラバラです。
自分の好きなところを10個書いてくださいと言われたら書けます。嫌いなところも書けます。でも、それは性質や行動のリストであって、私そのものではありません。リストは書ける。けれど、リストの持ち主がどこにいるのか。よく考えると、はっきりしません。
約2500年前、お釈迦さまはじっと座って、このことを見つめていました。そして発見しました。固定した私は見当たらない。あるのは感覚や思いや反応の流れだけだと。これを、無我(むが)と呼びます。ぎょっとする言葉ですが、不思議な話ではありません。
私たちはずっと変わり続けているのですから。
一休さんの屏風の虎という話があります。殿様が「この屏風の虎を捕まえてくれ」と言うと、一休さんは縄を持って構えました。「では、まず屏風から虎を追い出してください」。
自己肯定感も似ています。上げたいと言うけれど、肯定する自己をここに出してくださいと言われたら困る。50年苦しかったのは、無理もないことです。屏風の虎を捕まえようとしていたのですから。
子どものころに言われた言葉は、深い傷になります。「お前がいなくなればみんなが幸せになるのに」。言われ続けると、その言葉が自分そのもののように感じられてきます。でも、あの言葉はあなたの成分表ではありません。
カレーのパッケージに「まずい」と誰かがシールを貼っても、中身の味は変わりません。
しかも、ろくに食べてすらいなかったかもしれません。
誰かに貼られたシールを、自分の名札だと思わなくていい。「私」が固まっていないというのは、まだ具材を足せるし、味付けも自由ということです。明日どんな味になるかは、まだ決まっていません。
変わり続ける「私」を楽しんでいきましょう。
【答えた人】

カレー坊主
浄土宗僧侶/一般社団法人仏教カレー協会 理事
1984年生まれ、長崎県大村市出身。一般家庭に生まれ育ち、大学を卒業後すぐに縁あって僧侶の道へ進み、2008年に浄土宗教師となる。現在、 浄土宗長安寺(長崎県大村市)に勤務。誰もが気軽に参加できる無料イベント「いきなりカレー」や、地域の子ども食堂の運営にも参加し、地域社会と仏教を結びつける活動に力を入れており、カレー好きな僧侶 「カレー坊主」として、SNSを通じて日々の活動や仏教をユーモアを交えながら発信している。好きな言葉は「とりあえず、やってみる」。著書に『カレー坊主が教えてくれた みんなの仏教入門』(白夜書房)がある。
X(Twitter):@curry_boz
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