推し活で他のファンに嫉妬してしまう。現場に行ける人がうらやましくて寂しい|カレー坊主のお悩み相談
- カレー坊主

- 2 時間前
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【カレー坊主のお悩み相談 #08】今回は、推し活にまつわる相談です。純粋に楽しみたいはずの趣味で、他人と比較して苦しくなってしまう葛藤を抱える相談に対し、カレー坊主さんは、自身の経験を交えながら、仏教の「随喜(ずいき)」という教えと「ろうそくの火」の譬えを用いて、他者の喜びを自分の喜びに変える心の習慣について答えます。
【相談】
日々、推し活からエネルギーをもらっているのですが、どうしても「自分より現場に行ける人」「自分よりファンサをもらっている人」のことがうらやましくなり、寂しくなり……最終的に、趣味の推し活ですら寂しさを覚えてしまう、自分の愚かさにとても落ち込みます。
こういうときは、どうしたら良いでしょうか?(30代、女性、事務、ゆでたまごカレーさん)
【希望する回答の「辛さ」】
お任せ
【カレー坊主さんの回答】
ペンネームがカレーなので、まず最初に。仲間ですね。うれしいです。
さて、ご相談を読みました。
「自分より現場に行ける人がうらやましい」
「自分よりファンサをもらっている人がうらやましい」
わかります。私も、YouTubeで同年代のお坊さんの法話を見て、それがめちゃくちゃいい話だったとき、正直、くやしい。そのあと自分の昔の法話動画を見返して、再生回数の差にそっと目を逸らしました。
くやしいだけならまだいいんですが、そのあとにじわっと来るのが「自分は何をやっているんだろう」という寂しさで、これがやっかいでした。でも最近ようやく思えるようになりました。あの人も仏さまへの推し活仲間なんだよな、と。
ゆでたまごカレーさんが感じている寂しさも、きっと同じ構造だと思います。好きだからこそ、自分だけその輪に入れていない気がする。これは愚かさではありません。推しを真剣に愛しているから起こる、正直な心の動きです。
仏教に随喜(ずいき)という言葉があります。意味はシンプルで、「他人の喜びを見て、自分も一緒に喜ぶ」ことです。たったそれだけのことなのに、仏教ではこれをとても大切な善行として扱っています。
人の幸せを見て苦しくなるのが嫉妬で、同じものを見て一緒に喜べるのが随喜。目の前の景色は変わらないのに、心の向きひとつで正反対になる。
ここで譬え話を一つ。
暗い部屋で、あなたが小さなろうそくを灯しているとします。別の人がろうそくを持ってきて、「火、分けてもらえますか」と言う。あなたの炎からその人の炎に火が移る。
このとき、あなたの炎は減りましたか。
減っていません。それどころか、部屋は少し明るくなっている。
推しの話に戻します。推しはこの炎です。別のファンがファンサをもらって喜んでいるのを見て、「ずるい」と感じるのは、火を奪われたように思うからでしょう。でも、奪われていません。推しという炎は、何人に分けても減らない。
むしろ、みんなが喜ぶほど、推しの世界は広がっていく。あのファンは敵ではなく、推しの輝きを一緒に支えている戦友みたいなものです。
とはいえ、いきなり全力で喜ぶのは無理です。
「ファンサもらえたんだ……まあ、よかったね」
これで充分。最初の数秒は心がチクッとしてしまうかもしれません。でも、そのあとで、心の中で小さく「よかったね」とつぶやく。SNSなら、その人の投稿にそっと「いいね」を押す。そこから始めてみませんか。
随喜は「いいね」から始まる心穏やかに生きていく習慣でもあり、立派な推し活です。カレーだって、一人で食べるより誰かと食べたほうがおいしいでしょう。推し活も、たぶん同じです。これからもあなたのペースで存分に楽しんでください。
【答えた人】

カレー坊主
浄土宗僧侶/一般社団法人仏教カレー協会 理事
1984年生まれ、長崎県大村市出身。一般家庭に生まれ育ち、大学を卒業後すぐに縁あって僧侶の道へ進み、2008年に浄土宗教師となる。現在、 浄土宗長安寺(長崎県大村市)に勤務。誰もが気軽に参加できる無料イベント「いきなりカレー」や、地域の子ども食堂の運営にも参加し、地域社会と仏教を結びつける活動に力を入れており、カレー好きな僧侶 「カレー坊主」として、SNSを通じて日々の活動や仏教をユーモアを交えながら発信している。好きな言葉は「とりあえず、やってみる」。著書に『カレー坊主が教えてくれた みんなの仏教入門』(白夜書房)がある。
X(Twitter):@curry_boz
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